尾崎マリ子牧師との出会い 小淵康而
1972年4月、神学校を出たばかりの私は、何もわからないまま中渋谷教会の伝道師として招かれました。その時、佐古純一郎牧師から尾崎風伍・マリ子ご夫妻を紹介されました。細い眼をした優しい笑顔の風伍長老と同じく明るい笑顔のマリ子夫人の姿が今も私の心に焼き付いております。
当時お二人は40代の前半で、しっかりした信仰を持ち、海老名市(小田急で新宿から1時間余りの神奈川県下の新興住宅地)にお住まいでしたが、お二人の祈りの中には、海老名に新しい教会を建てようとの祈りが込められていたことは後になって知ったことでした。
毎週土曜日に尾崎宅では近所の子どもたちを集めて土曜学校が開かれ、その中心的働き手としてマリ子夫人が奉仕しておられました。中渋谷教会のCSの分校という位置づけでした。子どもの数は、40人~50人ほどだったと記憶しています。一階のすべての戸を開いて家中が子どもたちであふれていました。
当時は、ベトナム戦争の最中でしたが、尾崎ご夫妻がベトナム戦争で両親を失った子供たち二人をご自分の子どもとして引き取り、育てておられました。令君と亜紀ちゃんです。私が初めて令君と亜紀ちゃんに会った時はちょうど小学生になったばかりでした。日本でも当時は、反ベトナム戦争の嵐が学生や「進歩的知識人」と言われている人たちの間に激しく燃え上がっていましたが、日本の基地から飛び立つ米軍機によって爆撃されて孤児とされた子どもたちと具体的に関わろうとする人たちはほとんどいなかったのではないでしょうか。風伍・マリ子ご夫妻は、何度もベトナムへ足を運び、仏教の孤児院の僧侶の方と話し合い、この人たちなら……という信頼を得て、令君と亜紀ちゃんを引き受けることができたと伺っております。
そのようなご夫妻に出会って、頭の中で理屈をこねたり何の行動力もなかった私はある文化的ショック、否、信仰的ショックを受けましたが、当のご夫妻は当たり前のようにすべてを受け止め、礼拝と土曜学校を中心にした地に足を付けた堅実な信仰生活をしておられたように思います。
土曜学校の子どもたちのお母さんたちとのかかわりを大切にしていたマリ子夫人は、お母さんとの信頼関係を育てただけではなく、お母さんたちにも土曜学校の奉仕に加わっていただくことにも成功し、さらにお母さんたちに聖書を知ってほしいと願い、尾崎宅で聖書の学びの会をはじめました。笹井さん、庄野さん、野沢さん、加治さんたちの名前が懐かしく思い出されます。佐古牧師も遠い海老名に快く来てくださり、私もそのお手伝いをさせていただくことになりました。自分の生活の周囲にいる人たちにキリストを証しすることは、大切なこととはわかっていても実践することは簡単なことではありません。マリ子夫人はまさにそのことを実践することのできた人でした。やがて、日曜日の午後、お母さんたちを中心に礼拝がささげられるようになり、それが発展し、現在の海老名教会の誕生になりました。
当時は、マリ子夫人は、まだ神学校に行って牧師になろうという志は与えられていなかったのではないかと思います。しかし、今になって考えてみると、牧師として身につけるべきものをマリ子夫人は当時すべて与えられていたのではないかと思わずにはいられません。すべての人に偏見なく心を開く、広い心。温かい心をもって積極的に人に仕える態度。他者の弱さや欠けを黙って補い、助ける謙遜さ。他の人にも素直に助けを求め、協力を求めて、その人を同じ働きに招き入れる知恵。そして、何よりも笑顔と明るさと、全き神様への信頼。そのような姿を私たちの目の前に見せてくださったマリ子夫人でした。マリ子夫人との出会いを与えてくださった神様に心から感謝をささげます。
最後に一つのエピソードを。これは妻の和代の記したものの引用です。
『クリスチャンの尾崎さんご夫妻の姿を通して〝私の常識〟を砕かれたことがいくつかあった。その一つ……
ある時マリ子さんが、〝和代さん、私たち修養会で京都へ行くから子供たち預かって〟というので、〝はーい〟と言って二人の子どもたち、亜紀ちゃんと令くんを預かった。我が家の長男と一緒に三人の子どもたちと楽しく過ごした。三日たって、マリ子さんは元気で戻り、〝ありがとう。助かったわ〟とニコニコして子どもたちと自宅に帰っていった。その時、マリ子さんは、おせんべい一つのお土産も持ってこなかった。私は無事に子どもたちと過ごせて感謝だったと同時に、〝あの~何かお土産は~? お土産は何もないの~?〟とひどくびっくりした。しかしよく考えてみるとそれはとても新鮮だった。人に何かお願いすると、日本人は申し訳ないと負担に感じて、お土産やお返しを考えなければいけないようなプレッシャーがある。わたしもそうだった。そんな〝私の常識〟をここでも覆された。そうか、クリスチャンはこうした関わりでいいのか! なんて軽やかで自由なありかたなんだろう……と感じたのだ。何かをしてもらった時、心からのありがとうの感謝が一番だと思った』
(日本基督教団 隠退牧師)