わたしの好きなみ言葉・賛美歌(その2)
★1 三浦邦雄[会員]
好きなみ言葉はルカ10:27、マルコ12:30―31、マタイ22:37―39の箇所でいずれも同じですが、「心を尽くし、精神を尽くし、あなたの神である主を愛しなさい」の第一の掟は、神様は何時も私を愛してくださっていると実感する昨今です。また、「隣人を自分のように愛しなさい」の第二の掟は、隣人はその時々で与えられるもので、今は回復途上で元気になりましたが卒業前で、3年越しで毎週通ってくれる介護の人二人と、2年越しで与えられている俳句を携帯で毎日やり取りしている人が今の隣人で楽しい交わりをしています。旧くからの友人たちは相手から連絡があった場合のみ応答しています。と言っても決して忘れているわけではないですし、孤独は嫌ですが年を取ったらそれで十分になりました。ただ病気の人や困難にあると聞いている人にはこちらから連絡を取るべきとも思いますが微妙な問題です。
好きな讃美歌は217番の「あまつましみず ながれきて」の曲と歌詞が古くから好きです。
★2 三澤八重子[会員]
私の好きな御言葉
いつもあなたがたの内には、御子から注がれた油がありますから、誰からも教えを受ける必要がありません。この油が万事について教えます。それは真実であって、偽りではありません。だから教えられたとおり、御子の内にとどまりなさい。Ⅰヨハネの手紙1・27
わたしの好きな讃美歌 338番「主よ、おわりまで」
★3 鈴木幸江[会員]
讃美歌 461「主われを愛す」
聖句 「神は愛なり」 ヨハネの手紙一4章8節
私が一番初めに覚えた讃美歌は「主われを愛す」です。
小学生の頃、家の近くの教会の日曜学校でいつも最初に歌ったのがこの讃美歌でした。模造紙に墨で大きく書いた歌詞を見て、みんなで思いっきり大きな声で、意味も解らず元気に歌っていました。
主われを愛す 主は強ければ
われ弱くとも 恐れはあらじ。
(おりかえし)わが主イエス わが主イエス
わが主イエス われを愛す。
今もこの歌を聞くと日曜学校のことを思い出します。ですから、私はこの歌は子供の讃美歌だと思っていました。
それから何十年後、教会の、間もなく召されると伝えられた高齢のA婦人の病床問安で、牧師と数人の教会員でこの讃美歌を歌いました。
この歌の二番は、「我が罪のため さかえをすてて、天よりくだり 十字架につけり。」三番は、「みくにの門を ひらきてわれを 招きたまえり、いさみて昇らん。」四番は、「わが君イエスよ、われをきよめて、よきはたらきをなさしめたまえ。」
この讃美歌を歌い終わった時、牧師は静かに聴いていたAさんの耳もとで「Aさん、主に呼ばれたら返事をして神様のもとに行くのですよ。」と、語りかけました。Aさんはその言葉に「はい、」としっかり応えました。
この時、鈍い私はこの歌の意味に初めて気づいたのです。
この讃美歌は神様に愛された者の生涯で、覚えておかなければならない大切なことを歌っているのです。
「主われを愛す」は1954年秋、日本基督教団、讃美歌委員会が編纂した「讃美歌」の目次では、信仰生活の中の、児童の項目に収められていますが、「讃美歌21」では、キリスト者の生活の、愛の項目に入っています。確かにそのほうがふさわしいかもしれません。
しかし、神様に初めて出会う子供の時に、この讃美歌を歌い覚えることの大切さを改めて、識らされた思いがいたしました。
★4 人の世は苦役に似 昔の思い出 蜷川 文子
[誌友]
人の世は苦役に似、その日々は雇人の年期のようではないか。……そのようにわたしも月毎に空しい思いをいだき、夜毎に悩みがつのる。床につくときには、いつ朝が来るだろうかと思い、夜は長く、明け方まで輾転としてうなされる。体には蛆と埃りがまつわりつき、皮膚は燥いてひび割れし、膿汁が流れ出る。わが日は機の梭よりも速く、望みも空しく消え去る。忘れないでください、わが生命は吐く息にすぎず、……
37年前、人生最大のピンチとその当時は思ったことが私の身に起り、その上に帯状疱疹を疑われた皮膚の痛みのために飲んだ痛み止めで全身に酷い薬疹が現れて2週間ほど入院したことがありました。そのとき「主の憐れみと癒しを心からお祈りします。」の言葉と共に上記のヨブ記7章1―7節を記したカードを貰いました。それ以来事あるごとに「ヨブ記」を読みます。解決のようで解決でない、分かったようで分からない、人生の歩みも信仰の道もそうだな~と思います。最後まで信じる忍耐が必要だと教えられます。カードをくれた人が逝って25年、私は80歳になりました。最期の時ヨブのように「今こそわたしはい知りました。まことにあなたは全能者であり、誰も御計らいを妨げることはできません。」と言える者でありたいと願っています。(6月18日)