北の国のしゃろーむ 佐伯 勲

「しゃろーむ」は聖書の言葉で、普通には「平和、平安」と訳されますが、しかし、これは単に戦争がない平和とか、悲しみ苦しみのない平安、平静ということではありません。争いや、難問、重い病、不安や恐れといった中にあっても、それらを乗り越えていくことの出来る動的な平和、平安を指します。さらに言うなら、力と命に溢れている状態をいうのです。まさに、しゃろーむの子どもたちです。産まれて間もない乳児から、春になると小学校に入学する子どもまで、わたしにとってみんな愛する孫です。わたしは月に一回、月礼拝(三才以上の子どもたち)でお話する以外にも、朝「おはようございます。よくきたね」夕「さようなら。またあした」と子どもたちに声をかけますが、そういう時に、子どもを抱っこしたり、手を握ったり、子どもが一生懸命にしゃべっているのを聞いてあげます。子どもの目や顔を見ていると、体も心も癒され、天国の花園にいるかのように思われます。天のお父様が、その透き通った目やつやつやの顔、尊い命を創られ、それをどんなに喜び愛しておられるかを思います。イエス様は子どもたちに手を置いて、「天の国はこのような者たちのものである」(マタイ福音書19章14節)と言われましたが、わたしもまた子どもたちの姿に清められ、成長させていただきたいと思います。

春になると、土筆・杉菜、たんぽぽや水仙の花があちこちに群れ、アリさん、まるこ虫たちも動き回り、雀やツバメが飛んで来て巣をつくり子どもを育てます。夏になると、空には七色の虹が懸かり、郭公の鳴く声が聞こえます。秋になると秋桜が咲き乱れ、紅葉が美しいです。白鳥が飛んで来て冬になると一面真っ白い雪に覆われます。今冬は何十年ぶりの1メートルを超える積雪でしたが…。天のお父様が雨も雪も野の花も小鳥もどんなに愛し、喜び、創られたかを思います。「空の鳥をよく見なさい。……野の花がどのように育つのか、注意して見なさい」

(マタイ福音書6章26、28 節)。イエス様が空の鳥や野の花を深く愛されたように、子どもたちと野の花が咲き誇り、虫たちが集まり、小鳥たちがさえずる園庭で一緒に遊びながら、自然を、命を、友だちを愛し大切にする心を身につけたいと思います。

(日本基督教団 鷹巣教会 牧師 しゃろーむ・キリスト教主事)

[認定こども園しゃろーむ 保護者会編集 「にじ」第15号(2022年3月)に寄せて]