【分団C報告】安積力也
80歳台の女性4名と70歳台前後の男性4名、なぜか若者のいない計8名の分団。死がそう遠くないことを自覚している方も多い。残された人生を、「この時代」の只中で、いったいどう生ききろうとするのか。この切実な課題を巡って、それぞれの心底に疼く「想い」を語り、受け止め合おうとした2時間は、ある緊張を保持したまま、濃密に過ぎた。何かが深く交差し、何かが激しくぶつかりあった。しかし不思議な平安が通い合っていた。何を報告すべきか、正直分からない。心に刻まれた「やり取り」を2つ記すことで、主観に偏した報告とする。
一つ、三田町子さんが語られた想い。「あと3年経つ90歳。笑顔で生きてきたが、最近、怒らなくなったのは何故なのだろう。自分が世の中のことを考えなくなったからか……」 そう自問した後、こう言われた。「もう、新聞の購読も止めてしまいました……」。あの敗戦を経験し平和への祈り一筋に生きて来られた三田さんの、「この時代」への呻くような絶望と無力感が伝わってきて、私は胸がつまった。その時だった。宋富子(ソンプジャ)さんが突然声をあげた。「それはいけません!私の川崎歴史ミュージアムを手伝ってください!」。富子(プジャ)さんの明るいつっこみに思わず笑い声があがった。そして、いくつもの応答が続いた。「三田さんの想いは、今の若い世代のこの時代を生きることへの虚無と絶望に通じている。だからこそ三田さんは、若い世代への深い同情をもって、なお生きていく意味と希望を語れるのではないか」「いやいや、三田さんも私も、もうここまで生きたのだ。今はもう、全てを忘れて全てを受け入れて、休
んでいい齢にまでなった。私はもう、穏やかに生きたい……」等々。その全てを受けとめた後、三田さんは、吹っ切れたようにこう言われた。「私は、やっぱり、私の戦争体験だけはこれからも語って、生きたいと思います。」
二つ。全てのやり取りを黙って聞いていたこのグループ最年少の上田英二さん(69歳)。「自分が、いちばん〝老人〟のようだ。歳なんて関係ないと思った」。こう語り出した後、意を決したように、企業人として生きてきたご自分の破れと新生への道行きを、驚くほど率直簡明に語られた。私の心に食い込んだ上田さんの想いをいくつか記す。
「社会的欲望を追求して定年まで働けば必ず幸せになると思って働いていた最中に、両親が亡くなった。〝悲しく〟なかった。自分は落ちるところまで落ちた、と思った。」
「50台で会社を辞め、ボランティアとしてフィリピンのストリートチルドレンと交わった。その時彼らから、私の全く知らないものを感じた。それが人生で初めて知った〝愛〟だった。」
「それから教会に通いだした。でも〝罪〟が分からない。そして辺野古に行った。沖縄の人々の心にあるものは〝怒り〟だけではなかった。〝悲しみ〟があった。この状況を作ったのは、ほかならぬ私自身なのだと分かった。世の中にある不条理は全て私の罪に通底する。私は生きているだけで罪を犯している。洗礼を受ける決心がついた。」
「去年の3月、韓日共助会修練会に参加した。今、ハングルを勉強中。交流を深め、韓国の友と〝人格的な出会い〟をしたい。」
嬉しそうに聴いていた石川光顕さんが、こう応じた。
「上田さんはすごいですよ! 分からなくなると、その現場に体ごと飛び込んでいく。午前中の発題でも語られていたが、我々の最大の問題は〝無関心〟。時代の壁を突破する入り口は、隣国に、一人の〝友〟を持つことだと思う。」
それを営々と生きてきた人の言葉は、重く心に届く。誰とでも共有できるはずの「真理」が無くなってしまった時代。もう、自分にとって本当のことを〝本当のこと〟として語り、安んじて生きるしかない時が来たのだ、と思う。