歴史及び永遠の彼方を想う 青山 章行
開会礼拝で木村一雄牧師はアブラハムの砂漠における旅立ちの記事から「内面の促し」の重要な意味を説き明かされた。続く講演一及び二でも取り上げられる重要箇所である。私はこれらの講演を聞き、熱河宣教に出立された先人達のことを思い浮かべた。
片柳氏は講演Ⅰで、森有正の問いかけとして様々な問題を提示された。核のホロコーストの脅威とその不安、現代社会に特有の「新しい文化」の問題、権威を否定し「個」を主張する若者達の意識、さらには日本特有の問題として日本語を日常使用する場合の諸問題(定義、二項関係、命題の定立等)である。 森氏がフランスへ留学されてから経験したある「絶望」の自覚が、自己の道を追求するに至る重要な意味をもったことに深い感銘を抱かされた。在仏中、フランス生活になじんでからしばらくしてのこと、日本の中で生きることがつまらなく思われ生甲斐のないものに見えてきた時、これが本当に自分の絶望であることを確信の形で理解した。そしてこの絶望に背を向けて自己の道を追求しようと決意したという。
「アブラハムは四千年の昔、父と一緒にカルデアのウルを出発してバビロンの流れに沿って旅をし、ハランの傍らに着いて城門を仰いだとき、やっと出発点に立ったと自覚した。自分の中を歩み尽くしてやっと出口に着いたのである。父も死んだ。誰も彼を呼ばない。無関心と荒廃とが限りなく拡がっている。呼び声は向こうからではなく、彼の中からきた。しかもそれは呼ぶ声ではなく追い出す声であった。それを「内面の促し」と呼ぼう。人はそのためにすべてを犠牲にすることができるようになる。意志と孤独とがその時生まれるのである(森有正)。」
森の信仰による決断ながら、この決断は私には、熱河宣教に旅立たれた沢崎堅造や和田正にも同じく通ずると思われた。
講演Ⅱで、下村喜八氏によると、シュナイダーはナチス政権下にあって「ドイツの良心」と人々に慕われたそうだ。彼は1903年生の1958年55歳で亡くなった詩人作家である。
第二次大戦後のドイツ国民の復興姿勢に彼は失望し、また大国による「核によるホロコースト」の不安と人類の危機に恐怖を強く感じていた。彼自身の信仰は一般の人々や教会とはかなりの隔たりがある。広大な宇宙の中でキリストの十字架とその救いとは何であろうか、この地球は宇宙に比べると極微の塵に過ぎない。にも拘わらず万物の主は人類の歴史の中に降り立ち、無に等しい30年余を生きられた。そして贖罪の死を死なれた。これは一体何を意味するのか。シュナイダーは「キリスト像」をめぐってもあらゆるものから遺棄されたキリストの姿を仰ぐ。「十字架像」としては、キリストは裸の十字架そのものであり、栄光勝利のシンボルではない。神は無力でありこの世における勝利はないという。
彼は自分の懐疑的な態度を批判しつつ、懐疑を信仰の重要な部分と考える。懐疑は生活経験に深く根ざすからである。また疑うことを知らない信仰は死んだ信仰だとする。そして現状に満足したキリスト教は、現代の問題や神なき社会の問題に応えることはできない。今日なおキリスト教に存在の意味があるとすれば、それはこの時代に応えることができ、この時代を助けて、それ自身を乗り越えさせるものでなければならないという。
彼シュナイダーには唯一つのことしか残されていない。他の人のために祈ることである。そしてキリストの苦しみは今も持続しており、その苦しみに共に与る人間、その生が真実にキリストの生と同じ姿に近づく人間こそが、この世での極限の存在となる。そしてやがては報復ではなく、贖いを自分の身に負う人々によって歴史は導かれるようになるかもしれない、という。
講演を聞き、このような信仰者として、大戦中の中国大陸にわたり中国の人々に赦しを求め、さらには戦後、韓国の人々に和解の手をさしのべた和田正氏及び澤正彦氏の姿を思い浮かべる。
(日本基督教団 旧北白川教会員)