棘と印象 T.S.

母校の後輩に誘われて、長野で開催されるキリスト教の修養会への参加を決めてから、私の胸に何度か去来していた思いは、そこが離教した有島武郎が愛人と情死を遂げた別荘、浄月庵がある軽井沢の近くである―ということでした。かつては国語教材の定番だった彼の童話作品『一房の葡萄』は、私が調べた時には教科書採用数ゼロの憂き目にあっており、今や地位の凋落最も甚だしい日本近代古典文学作品かもしれません。その中では、愛や赦しといったキリスト教的テーマへの関心を有島が離教後も失っていなかったことが見て取れます。ゆえにこの作品は、キリスト教が社会浸透していないこの日本では尚のこと、学校教育の枠組みの中に収まりづらく扱いづらい――徐々に教材に採用されなくなっていった背景には、そんな事情が伺い知れます(※)。

離教者でこそありませんが信者ではない私にとっても、キリスト教から受けた強い印象は、有島やその作品にとってと同様に、一般的な社会生活の中に居辛くさせる、心に深く突き刺さった棘のように感じられることが多々あります。その同じ印象は一方では、私が最初に遭遇した信仰の先輩である筈の人達が属する母校から、私を遠ざけさせたものでもありました。ラインホールド・ニーバーに対する仮借なき批判者であるスタンリー・ハワーワスの『大学のあり方』などを読み、元々は神学校として始まったアメリカの名門諸大学でも、キリスト教がいつの間にか世俗的なリベラリズムに換骨奪胎されてしまう問題が起こっていると知ったのは、私が母校を卒業し大分経ってからのことです。

軽井沢はまた、内村鑑三の石の教会がある地でもあります。長野でキリスト教ゆかりの名所といえば大抵の人はそちらを先にあげるのでしょうが、2日目の自由行動時間の行き先を検討していて、石の教会の浄月庵との距離の近さが改めて私の意に留まりました。有島の情死に対して示した内村の極めて厳しい態度が、地理的近接という単純な事実を私に見失わせていたのかもしれません。

浄月庵からも石の教会からも、少し離れた小諸で参加した修養会は、実は存外近い、滅びと救い、死といのち、寄る辺の無き孤独とエクレシアとの、岐路の手前での滞在のひと時のようでした――奇しくもそこで皆さんと分かち合った、このスペースでは開示し尽くせないお話の内容からも、そのように思い返されるのです。                  (未信者)
(※)この点は左記のサイトの指摘に倣った http://f59.aaacafe.ne.jp/~walkinon/arishima.html