感想

心を見つめて、ゆるされて、はじまる R.S.

心を見つめて、ゆるされて、はじまる R.S.

共助会の修養会に初めて参加できて、本当によかった。楽しかったし、それを超えるものがあった。修養会の前後に実現した様々な再会と出会いも含めた一週間、私は自分を一歩前に進めてくれるような学びと気づきを与えられたと思う。修養会では、色々な「仲間」に出会うことができた。仲間のことばを聴いて、私も問いかけられ、語ることばを聴いてもらった。その中で、私自身が何に苦しみ、何を喜びと感じるのか、自分の心が少し見えた気がする。

私は教員として働くのが楽しい。人と関わることが好きで、自分は幸せだと感じている。それは本当だが、実はその裏で、自分の未熟さ、弱さに困ることもある。自信が持てない時、感情に自分自身が追いつかない時、自分の中の課題を乗り越えるのが困難に感じる時がある。少しでも他者の助けになれたらと思うけれど、日々、力不足・経験不足を実感する。まだ、自分が思う「大人」にはなれていない。自覚はあるつもりだが、なるべく目を逸らしたくなる。

それでも、私はここにいることをゆるされている、と教えられている気がした。修養会の色々な場面で、また会が終わってからも、葛藤し悩んできた人生の先輩、仲間のことばが、じんわりと心に入ってくる。仲間の葛藤も垣間見たし、それを通して自分の苦しさと救いに気づくことがあった。そうして、自分に葛藤があるからこそ、他者と何かを共有できるのかもしれないと思った。先輩・同僚に、生徒に、救われている私。一緒に成長させてもらうしかない。私は人と一緒に学ぶことや人と関わることが好きで、もっと成長したい、と再認識した。この好きな仕事をすることも、ゆるされている。そっと背中を押された。

私は今年のイースターに、導きの波に乗るようにして受洗した。ここ数年、神さまに(仲間と一緒に)歌をささげること、人と直接関わることをどんなに渇望していたのか、今もどれほど求めているのか、気がついた。神さまは、私の周りにいる人を通して働きかけてくれる。私も、神さまの「救い」を少し感じられるようになったのかもしれない。

私は、自分の心についての気づきの幅が少し広がって、やっとことばを見つけ始めた気がする。私は、自分にとって楽しいことを、支えにしてきた。しかし苦しいことについても、無理に自分を納得させようとはせず、心の中からことばを見つけ、少しずつ向き合っていきたい。ここを、また一つの「はじまり」として。 (国際基督教大学教会員、キリスト教学校〔中高〕教員)