沈黙をも通して語られる神 森下 静香
2025年が幕開けした。世界中で無意味な戦争は続き、物価の高騰は続き、新しい年がやって来たという期待に膨らむ思いよりはむしろ、前年からの様々な虚偽的な思いを引きずる気持ちでのスタートであった。そんな中、共助会一日研修会に初参加した。新しい出会いと再会の喜びの両方に満ちていた。前年の暮れに訪れた浪江伝道所(福島県)の飯島 信牧師を始め、東京神学大学でお世話になった光永 豊さん、在日大韓基督教川崎教会でお会いした宋富子(ソンプジャ)さん、また聖学院中高でお会いした角田秀明先生にも思いがけず再会でき、楽しい交わりと学びの一時となった。小グループでは、大先輩の方々より共助会の歴史をお聞きする貴重な機会を得、神の一人ひとりへの奇しき導きと配慮を感じた。生きた証しを聞き合うことの大切さを実感した。他者の証しを聞くことにより、神の導きを明瞭に感じ取ることができた。時として自分自身への神の導きは、感じることが難しい。他者の証しを聞くことにより、自己の導きもあったことを認識できる。最後の全体会で、ひとりの若者が言葉に詰まった時、すべての人が沈黙し言葉を待った。その空間に神の深い愛と臨在を感じた。混迷を深めるこの時代を生きるとは、静かに神の御声と互いの声、また声にならない声を聞き取ろうとする変わらざる姿勢に顕れるのではないかと思った。聖書を指針とし、教会に集い、教会の祈り及び個人の祈りを大切に、歩みは遅くとも、確実に歩んで行かれたらと願う。
(日本基督教団 正教師 聖学院中学・高等学校非常勤講師)