敬和学園高校ホームカミングデーに出席して―卒業生たちとの再会、使命の道の再確認 鈴木孝二

新潟市北区太夫浜325、日本海を望む砂丘地に建つ敬和学園高校(1968年開校、1回生入学、今年は55回生入学)。卒業生たちにホームカミングが呼びかけられた。秋深い10月8日(土)午後1時からである。コロナ禍で休止からの再開で、多くの卒業生が集まった。新潟共助会の長嶺さん、渡辺さんと会う(共に9回生)。

午後1時過ぎ礼拝よりプログラムがスタートした。6代目校長小田中肇はじめ先生の話。「卒業生のみなさん、良くいらっしゃいました。今日半日、敬和生に戻り、楽しく良い時を過ごしてください」。小田中先生より見た敬和の良さが具体例を持って語られた。礼拝の最後、献金、校歌、後奏で締めくくられた。私にとって島崎光正作詞、大中 恩作曲の校歌が強く迫って来るものとなった。特に3番の歌詞である。

「ああ友情のとも綱を/常盤にかたく結びつつ/使命の道に生き抜かん/松風わたる太夫浜

きけや主のみ声/敬和敬和敬和/ 永とわ 久のふるさと」

今日集まった卒業生たちの一人一人、残念ながら仕事などで来たくても来られなかった人たち、他の回生の卒業生のみんな、それぞれの場で〈主のみ声〉を聞き、使命の道を生き抜いてほしい。

礼拝後、3人の教師による「模擬授業」の時間となった。私もその一人に選ばれ磐ばんだい梯教室で行うこととなった。40人以上の出席で満席となった。私は、かつて選択授業としての「日本キリスト教史」を行った。それも敬和学、「初代校長太田俊雄と敬和の教育」として語った。奇跡の開校といわれた敬和学園。当時公立優位の状況に対して、太田校長は、入試期日を公立より早く実施して、敬和専願者を求めた。県下教育界への挑戦である。また、寮教育の展開により全国区の学校とした。修学旅行ではなく修養会を3年間行う。そして何より毎朝の全校礼拝の実施である。どんなに雪が降りスクールバスが遅れても授業開始より、礼拝を優先した。卒業生たちと〈敬和教育〉は何であったかを再確認し合った。

またたくうちに授業終了時間となった。その時、夕映えの光輝く陽ひ が、寮の建物を照らし、東の空に大きな大きな虹がかかった。それも珍しく二重の虹となった。みんな窓辺に近寄り大きな歓声を上げた。

敬和学園高校のホームカミングデー、その主役は卒業生である。しかし、私は元担任として招待され、出席して大きな恵みをいただいた。2022年、年末が近づく時、厳しくなる時代状況、でも待降節、しっかりと主のみ声を聴き、雄々しく使命の道を生き抜いて行こうと決意する。マラナ・タ           (日本同盟基督教団 北新潟キリスト教会員)