一人の人間として尊重されるイエス・キリスト 角田 芳子

共助会の中村きよみさん宅での、月一回の「東京聖書を読む会」では、旧約聖書の初めから5章ずつを輪読して、感想を語り合う楽しい会を持っている。一人では、ただ文字を追って読むだけになりがちだが、友と一緒に読むことにより、どんなふうに理解したかを語り合ううちに、その聖書の内容が厚みを増し、登場人物も生き生きと浮かび上がってくる。旧約の時代に起こった事柄を、現代に置き換えるとどんな風だろうかと考えさせられる。コロナ禍の2020年11月8日(月)第一回目の「聖書を読む会」が開かれた。今年10月30日(月)には、もう出エジプト記25章まで読み進んでいる。自分の読み込んだこと、それぞれの知恵や経験を通し学んだことを分かち合っている。

聖書を通読していて、神様は男と女に人間を創造されたとあるが、どちらかを優位に創造されたとは書かれていない。役割はそれぞれ違うが、「すべてが良かった」と創造主が言われたのである。2022年1月に基督教共助会研修会で、アジア学院校長の荒川朋子氏によって「ジェンダー問題」が、メンバーに投げかけられた。意識の高い共助会であるからこそ、ジェンダー問題をまっすぐ受け止め、会の考えも変わっていく可能性のあることを言っていただいた。私は、職場であまり男女差を感じないで働き続けてきた。しかし、日本の女性国会議員数が世界中で下から数えて何番目という位置にある事は、残念でならない。男女の人数がほぼ同数なのに、その意見が平等に吸収されていないのだろうか。この学びを深めたいと思い、東京バプテスト神学校で開講されていた山口里子氏の講義を受け続けてきた。聖書を今までと違う観点で読み、数にも入らない男性の所有物と考えられていた当時の女性たちが、共同体の中で、生き生きと活躍していた様子にも気づかせていただいた。引き続き学び続け、創造された誰もが、ひとりの人間とし大切にされることを願い続けたい。


主イエスは、もっと封建的な時代に、ユダヤ人が、サマリア人を差別し、避けているような時代にサマリア女性に声をかけられた。あえて誰もいない昼間に水を汲みに来た女性にである。この対面の会話から、あの素晴らしい泉をめぐる話が始まった、イエス様はこの女性の心の渇きに気づいていたのである。サマリア人だからとか、女性または男性だからとかに捕らわれない、そこに存在する一人の人間として扱ってくださったのである。これはほんの一例に過ぎないが、私たちもイエス様の弟子として、少しでもその姿に近づきたい。
イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでもまた渇く。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」(ヨハネによる福音書4章13節後半~14節)


(浦和バプテスト教会会員・元私立小学校教頭・華道家)