寄稿

呼びかけに応答すること 山崎 智尋

ヨハネによる福音書1: 35-39

私は2023年3月に国際基督教大学学士課程を、法学を専攻/哲学・宗教学を副専攻として卒業しました。今年10月に英国の大学院に進学するのを控え、現在は自由に勉強しています。

本日感話を担当するにあたって、飯島信先生から「自分の生きざまを語ってください」、と命じられました。そこで、私は、自戒を込めて、今後の人生において、自分が大切にすべきであると学ばされたことについて話そうと考えています。それは、「呼びかけに応答する」、ということです。

1 最初の弟子たち
先ほどお読みいただいた聖書箇所は、キリスト者に対し「呼びかけに応答すること」について三つ重要な点を示唆していると考えます。第一に、神はあちらから私に呼びかけ、私の応答を期待している、ということです。この物語において、イエスと二人の弟子の関係はイエスの問いかけによって変化しています。物語の始め、二者の関係は親密な関係を持ちません。二人の弟子は彼らの師であるヨハネが言うのを聞いてイエスに従ったのであり、彼らにとってイエスはついていく対象でしかなかったからです。しかし、この二者の関係性はイエスからの突然の問いかけによって変化します。イエスは振り返り、二人の弟子たちが従って来るのをみて、「何を求めているのか(What seek ye?)」と問いかけた、と聖書は語っています。問いかけとは、応答を期待して発せられた言葉です。イエスのこの問いかけを通して、二者の関係は互いに呼びかけ、互いの呼びかけに応答し合う関係へと変化しているのです。神は自らの働きによって、人間との人格的関係を開き、応答を期待しているのです。 第二に、人の応答に対して、神は解答(solution)を与えない、ということです。イエスの呼びかけに対し、二人の弟子は「先生、どこに泊まっているのですか」と尋ねます。彼らはイエスに従っていたのですから、この問いは「先生、私(たち)はどこに向かっているのですか」という意のものと解することもできるでしょう。この問いに対して、素直な解は「(X)に向かっているのだよ」という答えでしょうが、イエスの与えた応答は異なります。解答を与える代わりに、イエスは「来なさい。そうすればわかる(Come and see)」とさらに呼びかけたのです。この呼びかけに対し、二人の弟子は不安を覚えたことだろう、と思います。その日初めて出会った男に「これからどこに連れて行くのですか?」と尋ねると、「着いて来てみればわかるさ」と答えにならないような答えを受けたのですから、不信がって当然だろうと思います。しかし、多少の不安は覚えたのかもしれませんが、二人の弟子はイエスのこの呼びかけに従順に応答し、イエスについていくのです。聖書によれば、二人の弟子はイエスについて行った後、「どこにイエスが泊まっておられるかをみた」。イエスは解答こそ与えなかったけれども、呼びかけに答えた弟子たちには確かに約束を果たされたのです。 「来なさい。そうすればわかる。」とのイエスの呼びかけに応え、(不安を覚えつつ)イエスについて行った弟子に注目すると、 第三の重要な点が明らかになります。それは、イエスの呼びかけに応えて歩む道はたった一人で歩む道ではない、ということです。「来なさい」という呼びかけ、そして「(彼らは)ついて 行」ったという記述から分かる通り、弟子はイエスを先頭とし て、それに従う仕方で歩んだのです。また、イエスの後を追う 弟子は一人ではありませんでした。イエスは二人の弟子に対し て呼びかけ、二人が共に歩むように招いたのでした。イエスの 呼びかけに応える旅は、イエスと、彼によって自分と同じよう に呼ばれた人々と共に歩む旅なのです。

2 北東アジア和解フォーラム
2023年6月初旬に開催された北東アジア和解フォーラム に参加したことは、私が「呼びかけに応答すること」を学ばされ る機会となりました。北東アジア和解フォーラムとは、韓国・ 香港・日本の神学者・聖職者により構成される北東アジア和解 構想(NARI)が主催し、キリスト者のリーダーシップを育み、国 際・国内の分断を超えた共同体を生み出すことで北東アジア地 域における和解の働きを促進することを目的としたフォーラムです。今年行われた第 10 回フォーラムは朝鮮半島の停戦ラインに接する韓国( 坡州パジュ市)にある聖心会のリトリートセンターにて、 5泊6日の日程で行われました。韓国・中国・香港・台湾・ア メリカ・日本から宗派の異なる約 70人のキリスト教神学者・聖 職者・神学徒・実践家が集い、寝食を共にしながら和解の神学 について学び、北東アジア地域における教会や政体が抱える問 題について議論しました。 私は昨年12 月頃にはこのフォーラムへの招待を頂いていましたが、フォーラムの直前までその招きに応じることはできてい ませんでした。それは、私が北東アジア地域における和解を目 指す試みにどのような立場で参加すべきか、判然としなかった からです。東アジア地域における「和解」を議論する際、(特に 日本人として)無視できない大きな課題は先のアジア太平洋戦争 において日本の侵略と占領、そして非人道的行為(虐殺、レイプ、拷問、強制労働、人体実験等)、及びその責任に関する償い の問題であります。しかし、

私はこうした「日本の戦争責任」 を「自分の戦争責任」として理解することができませんでした。一方で、私は「日本の国民」として先のアジア太平洋戦争にお いて日本が行った活動について戦争責任が問われうる立場にあ ります。他方、私は「終戦後に生まれ育った人間」であるから、アジア太平洋戦争中の日本の行為には関与していない。「和解」 を目指す試みのため「日本人の参加者」として「韓国」に招か れた時、私は「自分の戦争責任」を見出せず、日本人としてど のようにこの「和解」の試みに参加すべきか整理がつかず、こ のような状況で「和解」の試みに参加することは無責任ではないか、と思い、一人悶々として、招待に明確な返答ができずに いたのです。 そんな情けない状態で過ごしていたところ、転機が訪れたの です。それはフォーラム開始10日前、ICUキャンパスにて、メノナイト教会が従事している平和の働きに関するある講演会に参加した時でした。講演会終了後、登壇されたICU卒業生(カナダハウス出身)で現在は酪農学園大学を含む北海道のいくつかの大学で法学・政治学を教えていらっしゃる片野淳彦(かたの・あつひろ)さんとお話ししていたところ、彼が10日後には北東アジア和解フォーラムのオーガナイザーの一人として渡韓するとおっしゃったのです。また、その日の夕方には、フォーラム実行委員である代田教会牧師の平野克己先生と、国際福音主義学生連盟(東アジア副書記長)のJongho Kimさんがキャンパス近くのイタリアンレストラン(パッパパスタ)にいらっしゃり、夕食会を開くことにしている、というのです。私もその席に招かれ、レストランに移動し、平野克己さんとJonghoさんにご挨拶したところ「日本からの参加者枠に一人分だけ空きがある」と伝えられました。
全く予期していなかった、あまりに想像し難い展開に驚きました。同時に、全く非理性的だと知りながら、これは「呼びかけ」なのではないか、と思いました。「私はここだ 」。お前が不安なのはわかっている、と。それでもこのフォーラムに参加しなさい。私の導きに従いなさい、と言われているように思いました。全く私の想像していた判断ではなかった、あるいは私が期待していた判断ではありませんでしたが、応答しなければならないと思いました。不安を抱えつつも、私はそれを導きだと信じて、急遽フォーラムに参加することを決断しました。

急いで準備をし、渡韓し、フォーラムが始まりました。しかし、私の不安は消えませんでした。和解の神学に関する神学者や実践家の講義は興味深かったし、他の参加者との会話は楽しんでいたのですが、自分がここにいて良いのだろうか、という不安は拭えませんでした。
そんな状況で迎えたフォーラムの中盤、ある夕食の後、フォーラム実行委員であるJonghoさんから「明日の朝、参加者の一人として、私がそれまでのフォーラムで学んだこと・考えたことについて皆の前で話をしてくれないか」と尋ねられたのです。「この数日間参加者の様子を伺っていたが、君に話してほしいと思った」、と。〝まずいことになった〟と思いました。当然、講義や参加者との会話のエピソードに言及しながら、和解の神学について理論的に議論を展開することもできました。しかし、このフォーラムが目指す「和解」の問題についてフォーラム中に「私が」考えたことを考えれば考えるほど、その内容は「和解の神学」を理論的にどのように理解するかという問題ではなく、自分がここにいていいのだろうか、という問題だったのです。フォーラムの折り返し地点になって、「和解」に希望を見出している人々の前で、「フォーラムを通して和解について理論的な理解は進んだけれども、個人的にはまだ不安が残る」などと発言すればガッカリさせてしまうかもしれない、と深夜まで悩みましたが、やはり誠実に応答しなければならないと考え、次の日には正直に自分の状況を打ち明けることにしました。
「日本人」として「韓国」で「東アジア地域の和解」を目指すフォーラムに参加することは、自分自身にとって重大な事柄であること。先のアジア太平洋戦争における日本の行いを許し難いものと認めつつも、日本人である自分の戦争責任を見出せず、このフォーラムへの招待にすぐには応えられなかったこと。フォーラムが始まってみてもその不安は消えず、自分が「和解」についてどう関われば良いのか、整理できていないこと。そんな自分が、そもそもこのフォーラムに参加する資格があるのか、判然とせず申し訳ない心持ちであること。

話し終えた後、フォーラムの参加者が示した反応は予想外のものでした。私の不安を聞いて失望するのではなく、私に声をかけ、握手し、抱擁しました。「あなたは私たちの仲間だ」と声をかけてくださったのです。

北東アジア和解フォーラムへの参加は、私に「呼びかけに応答すること」を学ばせました。それは、不安であってもそれを呼びかけと信じるならば、その呼びかけに誠実に応答すべきである。そして、そこから始まる旅路では、きっと仲間に出会わされるという導きです。

3 呼びかけに応答すること
米国の詩人ロバート・フロストはかつてこのような詩を書きました。
Two roads diverged in a wood, and I—
I took the one less traveled by,
And that has made all the difference.
森を歩いていると道が二つに分かれていた。そして私は、
私はあまり人が立ち入っていない方の道を選んだ、
それがすべての重要な違いをもたらしたのだ。

「呼びかけに応答すること」。それは容易ではありません。それは突然にやって来て、自分の意思・欲望とは全く異なる方向に自分を方向づけることを強いるかもしれない。さらに、「呼びかけ」に導かれて進む道は、往々にして険しく、誰もが望んで通ろうとする道ではない。

しかし、「誰も立ち入らなかった道(The Road Not Taken)」は「全く誰も立ち入らなかった道(The Road Taken by No One)」ではない。自分と同じ時代にも、自分より先の時代にも、同じように「呼びかけ」に応えてその道を歩んできた人がいる。自分が歩んだのちにも、「呼びかけ」に応えて、またこの道を歩む人がきっといるだろう。そして何より、私たちに「来なさい。そうすればわかる。」と呼びかける神が、この道の先を共に歩んでいる。

私は今後も不安を覚え、疑い、その声を無視して隠れようとしてしまうと思います。それでも主の導きを知る知恵と、それが御心に叶うことを祈りながら、呼びかけに応答する勇気を持ちたいと思います。(2023年8月19日)