狭い門の先に 手塚 都和
「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々としていてそこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭くその道も細いことか。それを見出すものは少ない。」
マタイによる福音書7章13節~14節
今日ここに集まってくださった方の多くが1年生だと思いますが、学生生活はいかがでしょうか。思っていたより楽しいな、順調だなと感じている人もいれば、大変だな、忙しいな、または、こんなはずじゃなかったのにと感じている人も、もしかしたらいるかもしれません。私も3年前は皆さんと同じ大学1年生でした。1年生の春学期、自分が思い描いていた大学生活と現実との差に戸惑ったり、落ち込んだりしながらも、何とか一日いちにちを乗り切ろう、とりあえず春学期は乗り越えなければと自分に言い聞かせながら頑張っていたなぁと今では少し懐かしく思います。
言ってしまえば、1年生の頃は大学生活にそれほど情熱もなく、ただアルバイトと授業だけ頑張って、普通のどこにでもいる大学生でいれば十分だと、そう考えていました。ですから始めの頃はサークルにも入らず、新しい友だちも積極的には作りませんでした。
しかし、それから3年後の今、そんな私がこうして皆さんの前でお話をする機会をいただくことができました。どこにでもいる、普通の大学生でいればいいと思っていた私ですが、結果的に私の大学生活は少し変わった、そして特別なものになっていると自負しています。今回はそんな私の経験を皆さんと分かち合うことができたら良いなと思っています。
突然与えられた選択肢
2024年の春に私は一つ大きな選択と決断をしました。それは、「1年間休学をして、能登半島で災害支援のボランティアをする」というものです。
2024年1月1日に起こった令和6年能登半島地震は、皆さんにとってもまだ記憶に新しいのではないかと思います。元旦に起こった大きな災害ということで、私にとっても衝撃的でしたが、特にその時はボランティアに行きたいという考えは全くなく、完全に他人事でした。しかし、たまたま知り合いが震災直後から能登半島に渡りボランティアをしていましたので、その様子をSNSを通して見る度、少しずつ能登半島に対して関心を持つようになりました。自分もなにかするべきではないか、そのような考えもありましたが、自分は大学生だし、学校もあるし、ボランティアは今自分がやるべきことではないだろうと特にそれ以上は考えていませんでした。
しかし不思議なことに、丁度その時期にその知り合いから能登半島で一緒にボランティアをしてみないかと連絡をもらいました。自分が能登半島に関心を持ち始めていたことも、何かするべきではないかと考えていたことも、誰にも話したことはありませんでしたので、その誘いを受けたときはとても驚きました。そして、それと同時にこれには自分の思いを遥かに上回る、神様の計画がきっとあるはずだと、直感的にそのように感じました。もちろん、経済的なことや休学することなど色々な不安がありましたが、とりあえず自分の前に示された道を信じて、進んでみることにしました。
周囲の声と聖書の御言葉
この突然の決断に、ありがたいことに多くの人が賛成し、応援をしてくれましたが、もちろん中にはやめた方がいいんじゃないかと言う人たちもいました。
ある先生は、「助けが必要な人は世界中いつでもどこにでもいるのだから、今君がわざわざ休学をして能登半島に行く必要はないのではないか。もしそんなにボランティアがしたいなら、あなたは英語を勉強しているのだから、どこか海外のボランティアプログラムに参加したほうがあなたのためになる。」と仰いました。少し冷たい言葉にも聞こえるかもしれませんが、その先生が仰られたことは確かにその通りですよね。能登半島のような田舎の土地で一年間地道な支援活動をするよりも、海外で英語を学び、使いながらボランティアをした方が自分の将来に分かりやすく直結する経験ができたと思います。自分の将来のため、自分の成功や利益のために時間や能力を使うことは、今の世の中ではごく自然なことですから、その先生が私に言ってくださったことも当然の意見だった思います。
しかし私はその時に、マタイによる福音書7章13節~14節の「狭い門から入りなさい」という御言葉を思い出しました。このみ言葉について、私は高校生のとき、ある先生からこのような話を聞きました。その先生は「多くの人が自分の損得だけを考える道を選ぶが、自分だけでなく隣人や他者の幸せを願う、少数の人だけが進む道を選択する人になってほしい。なぜなら、その道こそが命に通じる道であり、豊かに実を結ぶことができる道だから。」と語られました。
高校生の時の私は、この世の中で生き抜くためには、名の高い大学に行き、良い成績を取り、給料が高
い仕事に付くことこそがより良い生き方であると考えていたので、全くその言葉は心に響きませんでした。ですから、大学に入学した後も、ただ卒業することだけを目標に敷かれたレールから逸れないように生きることに一生懸命でした。
しかし、神さまはそんな私に「もっと広い世界を見なさい」と言うかのように、ある日突然「狭い門」に進む道を与えられました。もし今が、高校の先生が言っていたような選択の時なら、このままの学生生活を続けることよりも、能登半島へ渡り被災者と共に生きることを選ぶべきだろうと考え、休学することを決意しました。
狭い門から与えられた恵み
実際に能登に来てみてからは、想像以上の厳しさもたくさんありました。最初は住む家もなく、ゲストハウスに長期滞在しながらの生活でした。始めは地元の方々が話す能登弁がほとんど聞き取れず、まるで海外に留学に来たかのような感覚でした。毎日が初めてのことばかりで、慣れない作業に戸惑い、時には人間関係の難しさや信仰的な葛藤にもぶつかりました。「狭い門を歩む」というのは、こんなにも大変なことなのか……と、何度も心が折れそうになり、途中でやめようと何度も考えました。
けれど、そんな日々の中だったからこそ気づくことができた恵みもたくさんあります。特に、被災者の方や国内外から応援に来てくれたボランティアの方々との出会いは、私にとってかけがえのない宝物となりました。被災者の方々と共に食事をして、色々なことを話し、時には一緒に涙を流したり、一緒に笑ったりする中で、他者と共に支え合い、愛し合いながら生きることの喜びを知りました。そして、国内外からのボランティアを受け入れ、普段なら出会えないような年齢も国籍も背景も異なる人たちと、同じ目的を持って働けたことは、大きな励みにもなりましたし、様々な面で私を成長させてくれました。また、友人が能登半島まで遊びに来てくれたり、「あなたが能登にいるから、能登半島のニュースを自分事のように見るようになった」と言ってもらえたりしたときは、自分が周りの人にも影響を与えていることを実感しとても嬉しく思いました。きっと1年前能登半島に来ることを選ばず、そのまま大学に通い続けているだけでは、得ることができなかった多くの恵みの中で今生きている、と自信を持って言うことができます。
狭い門を歩む先にあるもの
神様は私たち一人ひとりのことを良く知っておられます。そして、他の誰でもないあなたのために、あなたの人生にしか歩めない道を備えてくださっています。時にはその道が「狭い門」のように感じられ、その道を本当に歩むべきか迷い、不安になることもあるでしょう。また、多くの人が選ぶ広く大きい門の方が魅力的に感じることもあるかもしれません。しかし、神さまが備えてくださった「狭い門」を歩んだ先には、思いもよらなかった出会いや喜びが必ずあると私は信じています。
私は決して、特別な人間でも、信仰が強い人間でもありません。ごく普通の、むしろ最初は情熱のない大学生でした。でも、そんな私でも、自分に与えられた
狭く細い道に勇気を出して踏み出したとき、神様はその一歩を祝福し、想像もつかない恵みを与え、その道を共に歩んでくださいました。今この場所にいる皆さんにも、それぞれにしかない人生の歩みがあります。きっとこれから、たくさんの悩みや選択の場面が訪れると思います。でも、もしあなたが自分の幸せだけではなく、誰かの隣人となり、他者とそして神様と共に歩もうとするとき、それは必ずやあなた自身を豊かにし、周りの人々にも、この世の中にも希望をもたらす存在になると信じています。
「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々としていてそこから入る者が多いしかし、命に通じる門はなんと狭くその道も細いことか。それを見出すものは少ない。」
この御言葉が、皆さんのこれからの歩みにとっての一つの光となり、皆さんが自分らしい学生生活や人生を幸せに送ってくださることを願っています。
(桜美林大学リベラルアーツ学群3年)
