講演

「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」― 今日、私たちにとってキリストとは誰か ― (一)下村 喜八

【主題講演Ⅰ(前編)】

はじめに

今という時代を生きる私たちにとって、聖書の神とは何か、イエス・キリストとは誰かを皆さんと一緒に考えたいと思います。お話しする内容には、いわゆる正統信仰からはずれているところがあります。しかしそこにかえって真実が、福音の本質にかかわる真実が含まれているようにも思われます。皆さんと一緒に考えるための資料を提供できればと思っています。

1 苦しむものと共に苦しむ愛

ある書物を、ある一つの立脚点や視点から読むと、理解が一面的になり、捨象(しゃしょう)される部分が多くなる危険性があります。しかし他面、敢えてそうすることで今まで気づかなかったことが浮き彫りになり、鮮明になることがあります。今日は聖書を「共苦」という視点から読んでみたいと思います。日本語には共苦という言葉はありませんが、苦しむものと共に苦しむという意味で用います。

私の研究対象であるラインホルト・シュナイダー(1903‐1958)の信仰とそれに基づく倫理・道徳の中心は共苦です。彼は、倫理の根本は愛であるが、その愛とは苦しむものと共に苦しむことであると言います。このことを彼は中世のキリスト教神秘主義者たち、およびドイツの哲学者ショーペンハウエル(1788-1860)とスペインの哲学者ウナムーノ(1864-1936)から学びました。

皆様もよくご存知のように、イエス・キリストは病人、貧しい人、また徴税人、娼婦、異邦人など、当時の指導者たちから「罪人」と呼ばれていた人々の友となられました。

徴税人は、ローマ帝国から通関税の徴収を委託された人たちのことです。課税額は徴税人の裁量に任されていたため、重い税を課して私腹をこやす人が多く、彼らは人々から嫌われていました。さらに彼らは交易のため異教徒と接触せざるを得ないわけですが、そのため、偶像を拝する国の手先であり、汚れた者とみなされ、ユダヤ人社会で差別されていました。また娼婦や、姦淫や盗みなど律法に違反した人々や異邦人も罪人と呼ばれていました。イエスはそのような人と交わりをもち、食事を共にされました。「罪人」と食事を共にするなどということは、当時の宗教指導者にとって驚天動地のことであったでしょう。

ハンセン病は当時、皮膚がただれ抹消神経が侵される恐ろしい伝染病でした。いたましい不治の病であるばかりでなく、罪を犯した徴であり、罪に対する神の罰とみなされ、差別・排除されていました。そしてハンセン病者は、人が自分に近づかないように、「私は汚れた者」と連呼することを義務づけられていました。このような律法の規定にもかかわらず、この人は自分からイエスに近づいてきて、ひれ伏し、「主よ、御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」(ルカ五・12)と言いました。するとイエスは「手を差し伸べてその人に触れ」、「よろしい。清くなれ」と言って癒されました。ちなみにイエスに近づいてきたハンセン病者の行為も、手でハンセン病者に触れたイエスの行為も律法違反です。そしてハンセン病者に触れるというイエスの行為は、恐ろしい病を自分の身に引き受けることもいとわないことを意味しています。しかもそれは無報酬で行われました。このようにイエスは苦しむものと共に苦しむ人でした。シュナイダーの言葉を借りますと、「共苦」の人でした。共苦は、弱い者、蔑まれている者、取るに足りない者へと向かい、その苦しみを我がこととして担います。

イエス・キリストは自己を無にして、取るに足りない、罪人に過ぎない私たちのところに降りてきてくださり、私たちの罪と罪からくる苦悩のすべてを担ってくださいました。私たちと全く同じ姿で、この世に来られました。サタンの誘惑にもあわれました。あるいは病をも患われたかも知れません。ヘブル書には、「この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです」(ヘブライ四・15)とあります。私は最近まで、ここに書かれてある通り、キリストは人間と同じ姿になられたが結果的には罪をおかされなかったと思ってきました。しかし本当にそうであろうかと考えるようになりました。私なりに考えを進めてゆきますと、信仰理解にかなり大きな変化が生まれてきました。その変化は、神に見捨てられたキリストと密接に関わります。

2 神に見捨てられたキリスト

イエスは十字架上で、「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ(わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか)」(マルコ一五・34)と叫ばれました。イエス・キリストは本当に神に見捨てられたのでしょうか。これをめぐって二つの解釈があります。⑴ この言葉は、詩編二二の最初の二行です。この詩は、苦難の中にあって、神に見捨てられたという嘆きで始まりますが、助けを求める叫びは、神によってついに聞き届けられ、最後は感謝と賛美で終わっています。そこで、イエスは、最初の二行しか叫んでおられないが、詩全体を思い起こしておられるのであって、神に見捨てられたのではないと解釈します。

⑵ それに対して私は、イエスが文字通り神に見捨てられたと考えるほうが無理のない自然な解釈ではないかと思います。シュナイダーおよびディートリヒ・ボンヘッファー(1906-1945)においても同じです。その他、ユルゲン・モルトマン、椎名麟三、北森嘉蔵、青野太潮、荒井克浩等がそのような解釈をしています。私たちは大きな苦しみや不幸にあうと神に見捨てられたと感じることがあります。それは「隠れたる神」と呼ばれています。しかしここでの遺棄は主観的なものではなく、本当に遺棄されたことを指します。ちなみに北森嘉蔵は1986年に出版された本の中で「いま、世界の神学者が『愛する子を捨てたもう父なる神』というところに、初めて大まじめに取り組むようになった」(『絶妙の真理』)と書いています。

イエスは人々に捨てられ、弟子たちにも裏切られ、文字通り、父なる神にも捨てられました。しかもなぜこのような仕打ちを受けなければならないのか、その理由も意味も示されることはありませんでした。あらゆるものとの関係を絶たれ、孤独のうちに、無意味と絶望の淵に沈まれました。人間の最も暗い状況の中にまで入られました。人間の最も暗い状況とは、たとえばイエスを見捨てて逃げ去った弟子たちの状況がそれに当たると思われます。自分たちの主(しゅ)を失った悲しみと絶望にうちひしがれています。主を裏切った罪意識にさいなまれています。ユダヤ人たちに襲撃されることを恐れて、戸の鍵を閉めて閉じ籠っています。これからどのように生きてゆけば良いのか分かりません。生きる意味も希望も失っています。それが今弟子たちの置かれた状況です。それは神のおられない所と表現することもできます。それは弟子たちをはじめ私たち自身の置かれている場所でもあります。イエスはその神のおられない場所にまで降りられました。そして罪とそこから生じる苦悩とを担ってくださいました。十字架による贖(あがな)いです。

キリストは神に見捨てられました。しかし、それは同時にイエス・キリストご自身が、神のおられない所へ降りられたことでもあります。苦しむものと共に苦しむ愛がそうさせました。それがインマヌエル(神は我々と共におられる)(マタイ一・23)の本当の意味ではないでしょうか。主イエスは、忌避され、差別されていた人々と共におられました。ハンセン病者と共におられました。自分を裏切った弟子たちと共におられました。それは、イエス・キリストの、苦しむものと共にある在り方が深まり、極まっていったことを意味しているように思われます。そしてついに不信心な人間 ― 神を喪失した人間 ― にまでなられました。イエス・キリストは罪人になられました。私たちと同じ罪人に。とは言え、当時の人々に罪人として裁かれたという意味での罪人ではありません。「罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました」(Ⅱコリント五・21)の後者の「罪」は神を喪失する罪であると思われます。

このように、キリストは罪に苦しむ人間と共におられる方です。そして《私はいつもあなたと共に、あなたのそばにいる、私と一緒に生きよ》と言ってくださいます。私たちを義としてくださる、無条件で完全な赦しです。無条件なインマヌエルです。その赦しと愛を受けとり、キリストのインマヌエルの内に生きることがキリスト者の生活ではないでしょうか。

3 十字架にかかったままの復活

シュナイダーが多大な影響を受けたパスカル(1623-1662)は、『パンセ』の中で次のように言っています。「イエスは世の終わりまで苦しみもだえておられる。このあいだわれわれは眠ってはならない」。「眠ってはならない」という言葉は、イエスのゲツセマネでの祈りの場面を踏まえています。また「歴史の時間は、キリストのアゴニー(断末魔の苦しみ)である」とも言い、また『病の善用を神に求めるための祈り』の中で次のように書いています。「私はあなた(キリスト)に満たされているので、生き、そして苦しんでいるのはもはや私ではない。おお救い主よ。あなたが私のなかにあって生き苦しんでおられる」。

キリストは今なお苦しんでおられるという点でシュナイダーも同じです。こう書いています。「キリストの苦悩はつづいている。 ― 死者たちを悼む苦しみもつづいている。極限に達しながらそれを超えず、埋葬の夜の間じゅう血を流しつづける肉のままでとどまり、不朽の苦悩でありつづけた人間、この世における共苦の人間キリスト、彼は復活のキリストよりも救いの助けとなる」。

パスカルとシュナイダーの二人においては、キリストは十字架にかかったままの姿で今も生きておられることになります。キリストはさながら十字架にかかったままの姿で復活されたかのようです。昨年の修養会でも上記の言葉を紹介しました。そしてシュナイダーはキリストの復活を否定していないまでも、等閑視しているのではないかと解釈しました。しかしその後で疑問が湧いてきました。その解釈では、シュナイダーが感じている鮮明で揺るがないキリストのリアリティーの説明がつかないからです。今、現にキリストが自分の傍らにおられるという現実感です。先ほどの言葉の中の「復活のキリスト」は、いわゆる高きにいます勝利のキリスト、光に輝く王的支配者キリストを指しているのではないかと気づきました。そのように解釈できるとすれば、この文意は、復活自体を等閑視しているのではなく、十字架上の共苦のキリスト、神に見捨てられたキリストが今も現に生きておられ、そのキリストが栄光に輝く復活のキリストよりも救いの助けになるということになります。(栄光に輝くキリストを信じる信仰は、無意識に自分の栄光を求めている可能性があります)。そう読めば、彼と共にいるキリストは、十字架にかかり、苦悶のうちにあるキリストです。パスカルについても同じことが言えるでしょう。

共助会の大先輩である沢さわざきけんぞう崎堅造(1907-1945)は1942年5月、「一途に基督の後を追いたい気持ち」に駆られて、大陸伝道の召しに応えるため熱河承しょうとく徳に渡ります。「イエスは今東亜の一角を歩みつつあり給うことは明らかである。イエスの路は、苦しんでいる淋しい人々へと向うのである」。承徳での1年間は山の祈りの生活であったようです。その祈りの中で次第にイエスの姿が現実感を増して鮮明になってゆきます。「十字架上に於ける三つの釘、……それを通して聖書が見通されねばならない」ことが分かり、さらに十字架の木は私自身であることが分かったと書いています。「基督は、私自身の上に釘付けられた! 私は私の上に常に基督を負う身となった」。三本の釘は、澤崎の両手と足に打たれています。「基督の流し給うた血を享う けると共に、私も亦少し計ばかり自らの血を流しているのである。私の肉もさかれていなければならない。かくて私は三つの釘に於て、基督と一つに結び合わされた。基督と私はいつでも共にあることになった」。「『常にイエスの死を我が身に負ふ』(コリント後四・10 )というのもその意味である」。「基督は復活し給うた。復活し給うた基督は、も早や十字架を背負ってい給はないであろうか。復活は十字架を抜いていることであろうか。否、全くそうではない。復活の主は常に今もなお十字架を負い給うのである。復活の主が疑えるトマスに十字架の釘痕を見せ給うた計ばかりか、彼の手を伸べさせて『我が脅わきにさしいれよ』(ヨハネ二〇・27)と言い給うた。それは単に釘の痕を見ることではなくして、実に今もなお十字架を負うていることを信ぜしめたかったからである」。さらに沢崎はつづけます。復活の主は、今度は十字架を背負って歩んでおられる。「だから私はいつも復活の主の肩に負わされて、主が往き給うところについて往く身となったのである。私がどんなに離れようとしても、両者を結ぶ釘はしっかりとして私を離しては呉れない。聖霊がその釘であろう。私を堅く基督に結び付けて離しはしない」(「曠野」、『恐れるな、小さき群れよ』ヨベル)。

パウロは次のように書いています。「キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお罪の中にあることになります。そうだとすると、キリストを信じて眠りについた人々も滅んでしまったわけです。この世の生活でキリストに望みをかけているだけだとすれば、わたしたちはすべての人の中で最も惨めな者です」(Ⅰコリント一五・17‐19)。さらにつづいてキリストの再臨、キリスト者の復活、キリストが支配する神の国の到来について語っています(Ⅰコリント一五・23‐24)。他方、以下のようにも語っています。「わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていたからです」(Ⅰコリント二・2)と。

青野太潮氏によると、「十字架につけられた」と訳されている箇所は、原語では過去形の分詞ではなく、現在完了形の分詞が使われているそうです。したがって「十字架につけられたキリスト」は「十字架につけられたままのキリスト」と訳すべきであるとされます。さらにつづけて氏は次のように解釈しています。「十字架のキリスト」とは、「〈点的で一回的な行為としての決定的な贖罪の業〉を成し遂げられたキリスト」のことを意味しているのではなくて、むしろ、「継続して今もなお十字架につけられたままの姿でもって、私たちとともに苦難のなかにいてくださる、つまり苦難の只中で私たちに同伴してくださっているキリスト」のことを意味している、と。そうだとすると、「復活のキリスト」とは、パウロにとっては、実に驚くべきことに、「十字架につけられたままのキリスト」だったということになります(青野太潮『どう読むか、聖書の「難解な箇所」』ヨベル)。青野氏の解釈が正しいと即断することは控えますが、改めてパウロ書簡を読み直すと、宣教の途上で想像を絶する艱難に遭遇するパウロに同行しているのは、ほとんどの場合、栄光に輝くキリストではなく、十字架につけられたままのキリストであることに気づきます。

パスカルとシュナイダーにおいては、キリストはさながら十字架にかかったままの姿で復活されたかのようであると言いました。そして、沢崎堅造の場合は、「かのように」ではなく実際に、復活の主は常に今もなお十字架を負っておられる方でした。さらにパウロにおいても、キリストは十字架にかかったままの姿で復活しておられる可能性は否定できません。

したがって、パスカル、シュナイダー、沢崎、そしてパウロをも含めて、彼ら四人に同行しているキリストは、栄光に輝く復活のキリストではなく、十字架にかかった苦悶のキリストです。そして十字架上の苦悶のキリストは、私たちの罪と苦悩と病受け入れ、共に担い、私たちに罪人のままで生きよと言ってくださっています。

4 主のインマヌエル

後半にお話しすることを少し、先取りする形でお話しします。獄中のボンヘッファーは、「われわれは、神の前で、神と共に、神なしで生きる」(『抵抗と信従』)と書いています。「神なしで生きる」という謎めいた言葉はどういう意味でしょうか。一つの解釈として、それは文字通り神なしに、神を喪失した罪人として、罪人のままで、罪人に過ぎない人間として生きることであると言えると思います。このあるがままの人間が神に受け入れられ、共苦の神に伴われながら生きることであると。

イエス・キリストが私たちの、神なしの世界まで降りてこられて、《私はいつもあなたと共に、あなたのそばにいる、私と一緒に生きよ》と言ってくださるとき、私たちはあるがままの姿で、存在全体が無条件に「よし」とされ、肯定されます。80歳を超える長い人生で、私は言うに言えない、誰にも知られたくない恥ずかしいことをたくさん重ねてきました。しかしその誰にも知られたくない部分も含めて、このありのままの自分がキリストによって「よし」、「いいよ」とされ、主の前で主と共に生きることになります。

そのような絶対的な共苦の愛に出会うとき、真に自分が罪人であることを知らされます。罪とは、単に律法や道徳、あるいは良風美俗にもとる行為を行うことではなく ― すなわち、あれやこれやと数えることのできるものではなく ― 本来神の方向を向くべき心の底が、倒錯して自己自身を向いていることです。私という一つの存在全体が神なしであることです。そのことをキリストが明らかにしてくださいます。したがってイエス・キリストに出会わない限り、私たちは、真の意味で罪が何であるかを知りません。ですから「信仰によってのみ義とされる」と言ったルターは、「信仰によってのみ罪人になる」とも言っています。主が傍らにいてくださるとき、自分が罪人の最たる者であることを知らされます。しかも、それを素直に受け入れることができます。その時、私たちの内に真の悔改めが起こります。私たちは日頃謙遜でありたいと思います。しかし、自分の力で謙遜になることは絶対に不可能であると断言できるほどに難しいことです。自分もひとかどの人間であるという気持ちは、追い払っても、追い払ってもなくなりません。しかし神に遺棄されたキリストが傍らにいてくださるとき、私たちは謙遜になることができます。

とはいえ、信仰とは単純でありながら難しいところがあります。「信仰によって義とされる」ということを私たちは十分に承知しています。しかしまた、ガラテヤの信徒への手紙に、「愛の実践を伴う信仰こそ大切です」(五・6)とあります。ところが私の信仰には愛の実践が伴っていません。私の信仰は間違っているのでしょうか。あるいは弱いのでしょうか。このように自問しながら私たちは堂々巡りをしてしまいがちです。しかし問題なのは正しい信仰や間違った信仰、強い信仰や弱い信仰という次元ではありません。むしろ正しい信仰、強い信仰を持っているという意識からは、傲慢と狭量、裁きと排除が生まれてきす。私もそのような過ちを何度も犯してきました。また信仰とは、聖書や教派、あるいは聖職者が私たちに教えることをその通りであると信じることでもありません。それは権威信仰、教義信仰であって、神と私たちとの間の、愛と信頼にもとづく人格的な関係の中ではじめて成り立つ信仰ではありません。正しい信仰、深い信仰、強い信仰、正統な信仰は、われ知らず救いを得る条件となり、自己義認を生む危険を孕んでいます。

信仰は、救いを得るために私たちの側で用意しなければならない条件ではありません。無条件に与えられるものです。神に見捨てられたキリストに出会うとき、私たちの内に自然と生まれて来るもの、生まれて来ざるを得ないものだと言えます。

キリストの愛によって心が満たされるとき、ヨハネ第一の手紙の言葉のように、キリストの愛の生命が私たちの内に流れ込んできます。そしてキリストによって生きるようになります(Ⅰヨハネ四・9)。共苦の愛は力です、出来事です。その出来事をパウロは「わたしは、キリストと共に十字架につけられています。生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです」(ガラ二・19‐20)と表

現しています。そして、これは私たちキリスト者のあるべき実存の形であります。しかし私にとっては理想像、願望像でしかないことも事実です。その願望像をもう少し語らせてください。キリストは「神なし」の状況をすでに十字架上で生きてくださいました。そして今も生きてくださっています。そのキリストが私の内におられると、私は「キリスト透明人間」(『ブルンナー著作集』第七巻)になります。これは外側の私が無色透明になり、私の内にキリストだけが存在している状態を指します。それはあくまでも理想像であって、そのような透明人間にはなれません。しかしキリストの愛に対して純粋に受け身になればなるほど、あるがままの自分のままで能動的になることができます。共苦の愛に生かされることによって、隣人に対して共苦の人となる可能性が開かれます。多く赦された人間は、多く赦すことができる人間になれるはずです。私たちにとって極めて困難なことですが、私たちの心がキリストの愛によって満たされるとき、憎しみを抱いていた人に対しても宥和的に接することができるようにされます。それは、たとえば満開のみごとな桜並木の下を歩いていると、行き交う人が皆懐かしく感じられるのに似ています。

また、パスカルの言葉のように、どんな苦しみをも、キリストが共に担ってくださる苦しみとして担うことができるようになります。苦しみを通して私たちはますますキリストに属するものとされます。キリストと私と隣人は共苦によって結ばれます。そこから真の和解と平和が生まれます。

それらはあくまでも理想像であります。しかし、不可能を可能にする希望、常に立ち帰るべき場所は示されています。讃美歌二編一六番に次の歌詞があります。「いたましくも神と人に、見捨てられて主は死なれた。その絶望こそ、わたしの希望だ」。イエス・キリストの絶望、そこに私たちの希望があります。そこにしか希望はないように思われます。(講演一の前半に加筆・修正をおこないました。後半は次号に掲載予定)

(日本基督教団 御所教会員)