【戦前版『共助』第3回】 ある主に在る友に 本間 誠

圖らずも主に在るの故をもて、重ねて共助會に就いてお尋ね頂いたことを心から感謝に存じます。今日は少しく森先生の事を申し述べさして貰ひませう。其方が遙かにお尋ねに應へうるかと存じます。先生なくしては共助會は生れて來なかつたのです。其信仰も友情も使命も先生によつてゞあります。少しでも多く先生について識つて頂くならば、それ丈け共助會の志のほどもうなづいて頂けると思ふからです。併し先生の更に廣い深い點については他の同志達から是非お聽き下さい。私は先生の一方面を、而も極くありのまゝの感想しか申上げる力がない。もし少しでも先生を識らるゝ端緒ともなるならば非常なよろこびに存じます。

第1に、先生は基督のよき漁人であられました。先生に接し行く魂は驚くほど基督へと引き寄せられて行きました。目醒しい基督への信仰の進歩が見られました。先生におめにかゝつた者は等しく自分らの如き不束者も、もつと基督に一生懸命にお仕へしやうといふ氣持一杯にされるのでした。私達は自分らの信仰上の問題や1身上の憂をもつて屢々先生のお宅をお訪ねしたものです。其時も、此の苦しみにも増して、自ら苦しみ私達を顧みてゐて下さる基督のお心を、しみじみ感ぜしめられ非常な望に立たしめられて御門を出てくるやうな次第でありました。一々理論をつくして説明して下すつたわけではありません。おめにかゝつてゐる間に、自然さういふ自覺に導かれて行つた事と思ひます。得意になつておめにかゝると、歸りには自らの愚かさを基督の前に恥ぢ、これではならぬ、もつと勵まうといふ思に迫られた事を覺えてゐます。斯樣にして先生に接した者は皆自分丈けが特に先生のお世話になつて、めにかけて頂いてゐるとお互に談り合ひながら共に感謝したものでした。いふ迄もなくそれは智慧や力量がおめに留まつたといふ事ではなく、自分ほどの足らないものが、斯うまで先生にめにかけて頂くとは實に有難い、その信任に對して先生を恥かしめてはならないといふ思からであります。夫れ故、私達は深き感謝を談り合ひながらお互に基督に仕へて師を恥かしめぬやう勵まうといふ心に1つとなりえたのであります。斯樣な事は全く先生自らが、基督に委ねつくして、主の聖愛を感謝し、これに責任を覺えつゝ、主の愛し給ふ魂のために思ひ迫らるゝ先生の信仰より出づる人格の力の故であると存じます。よき傳道者、眞の魂の牧者とは斯の如きをいふのでありませう。仰せの通り時代は容易ならぬ状態であり、殊に基督者自ら顧みて深く恥ぢ又憂ふべき事が多いのですが、併し今特に我らの間に求められてゐるものは、意識すると否とを問はず、實は眞に基督を畏れ基督の恩寵を感謝してこれに忠誠をもて仕ふる活ける信仰の人ではないでせうか。又斯る信仰に在る友の交りではないでせうか。「基督教は何處にありますか」と問ふものに躊躇せずして、「來りて見よ、これなり」と指示されうる人格ではないでせうか。其人格に接するによつて基督に顧みらるゝ不思議なる恩寵の感謝と、謙遜に而も雄々しく信仰の戰に出で立たしめらるゝ經驗─友の交り─が欲しいのではないでせうか。先生はかゝる信仰の活ける人であつたからこそ接する魂を基督へと躍進せしめられたのではないでせうか。

第2に、先生におめにかゝる者は罪を深く意識せしめられたことであります。決してお前は罪があると仰せになられたといふ譯ではありません。勿論餘りにも鈍い良心を憂へられ、時には深く戒め反省を促すことを忽にはなさらなかつたのですが、先生にお接し申してゐる間に、自分の態度考へ計畫等が、いかに幼稚であり恥多いものであり乍ら自ら傲慢であり、いかに基督を惱ましまつつてゐるかを次第に自覺せしめられるのでした。之れ丈け罪の責任が痛感せしめられました。信仰がはつきりしないで餘計な事を考へてゐる時などは、先生の眼に留まるのが恐ろしく思はず避けたくすらなつた事を覺えます。しかも遂にはおめにかゝらずには濟されない慕しさを感じてゐました。併し先生は、斯くも慕ひ寄る者でも、必要ならば非人情とも思へるほどにつき離されることがありました。それは、只彼が基督に近づきまつりたい志からのみ先生を慕ひ、その御交りを求めてくるやうにとの愛の苦心でありました。だから先生の周圍に集るものは、單に先生をしたう爲ではなくて、基督を仰ぎしたひ、基督の贖ひの眞理を辨へ少しにても主の聖愛に應へまつらんために先生の御交りを願う者と成り得たのです。茲に先生によつて示された友情がいかに基督につながる友情であつて、世の常のものとちがつてゐるかゞわかつて頂けると存じます。共助會のものが切に願ふ信仰とこれに基づく友情とはかくの如きものをいふのです。これは決して容易なことではありません。非常なる努力を要します。併しもし此の樣な友が一人にても與へられるならば私達の信仰と生活とは非常なる清さと熱と力とが出で來ると存じます。私達が特に「森先生」を御紹介するのはこの意味で私達の基督への忠誠とその達成の爲に與へられたる信仰の人森先生を私したくないといふよろこびの心からに外ならぬのであります。今も若し、先生の遺されしお言葉をお讀み頂くなら─例へば「濤聲に和して」の始め(森明選集267頁)、「靈魂の曲」(同294頁)─必ず基督にまでつれ行かるゝよろこびと戰の力とを得られることと確信いたします。

第三に、先生によつて私達は祖國を愛しこれが基督に在つて救はれんために大なる使命のあることを教へられました。先生は屢々使徒行傳17章廿67節を引いて日本が東洋諸民族の間に在つて3000年の歴史をゆるされし恩寵と、之に應へて更に基督によつて基督のために祖國を光輝あらしむべき責任が我ら基督者にある事とを力説されました。これらは既に手にせられる森明選集の序文並に先生の「民族の使命に就いて」「世界主義及國家主義に對する基督者の觀念」「宗教生活の充實」等の論文に就いて直接御覽頂きたい。時代に對して大兄が胸中に去來してゐると仰せられた節ぶしに必ずよき指針となるのみならず、共に最後まで基督に在つて祖國の救ひを冀ふ使命の自覺に導かるゝことゝ存じます。

更に、此の救のよつて來るべき基督教眞理の宣明のために先生がいかに學問を重ぜられたか、申し述べたく思ひますが今は力及びません。

とにかく斯樣に森先生の信仰・人格に觸れつゝ導かれつゝ遂に共助會は成立するに至つたのであります。どうか深く先生を識られやがては同志として共に主に仕へうる日を切に望んで止まぬ次第であります。

終りに信仰のよき戰ひを鬪はれんことを祈り上げます。

共助會は、現在左記の場所に於て、その事務の取扱をして居ます。新學年と共に一層多くの眞劍なる友を迎へて、祖國の各地方に在りて、質實なる信仰の戰を共に勵み度く、讀者の方々より御知友學生諸君の御紹介をお願ひ申し上げます。

(東大共助會)山本 茂男
(京大共助會)奧田 成孝
(九大共助會)益田 健次
(早大共助會)羽田 智夫
(慶應共助會)齋藤 成一
(女子協愛會)山田 松苗

本間 誠 略歴

1891(明治24)年2月24日:青森県に生まれる。
1912(明治45)年:東京帝国大学農学部に入学。
    (間もなく胸部疾患のため休学。約3年間の療養生活。)
1914(大正3)年:日本基督伊東教会において南廉平牧師より受洗。
1916(大正5)年:中渋谷日本基督伝道教会に転会。森明の指導を受ける。
1918(大正7)年:本間誠を中心に東大駒場に「隣友会」が行われる。
         東京帝国大学農学部を卒業。
1919(大正8)年:学生基督教共助会発会。規約制定は1922(大正11)年春。
1921(大正10)年:日本基督教会東京中会にて教師試補の准允を受ける。森明の司式で木岡利と結婚。
1922(大正11)年:日本基督教会目白講和所を開設。
1923(大正12)年:礼拝開始。早稲田大学教授となる。
1925(大正14)年:森明召天。
1929(昭和4)年:東京神学社卒業。日本基督教会東京中会にて目白伝道教会認可。
         日本基督教会目白伝道教会建設。
1931(昭和6)年:日本基督教会東京中会にて教師任職の按手礼を受ける。
1934(昭和9)年:日本神学校にて自然科学を教え始める。
1942(昭和17)年:名称が日本基督教団目白町教会となる。
1953(昭和28)年:牧会専念のため、早稲田大学教授を辞職。
1954(昭和29)年:東京神学大学教授及び自然科学部門主任となる。
1959(昭和34)年8月2日:召天。