発題と応答第8回韓日基督教共助会修練会特集

発題1) 韓日修練会開催の意義 — 和解の使命を帯びて 飯島 信

韓日修練会開催の意義

基督教共助会委員長の飯島信です。昨年、この大学で行われた裵貞 烈(ペチョンヨル)先生の入会式の時は、本当に有り難うございました。心温まる、また、皆様の祈りの中で、厳粛な、神様に導かれた時を持つことが出来ました。

私は現在、福島県で二つの伝道所の牧師をしています。その一つの浪江伝道所は、2011年、東日本大震災で原発事故を起こした東京電力福島第一原子力発電所から10㎞圏内にあり、もう一つの小高伝道所は同じく20㎞圏内にあります。共に住民全員に避難指示が出され、浪江は6年間、小高は5年間、住む人がいなくなる廃墟となっていた街でした。現在、浪江伝道所の教会員は一人もいません。当時いた教会員は、6年の間に避難先で新たな生活が始まり、戻ることが出来なくなったからです。小高伝道所の教会員は80代の方お一人です。この方は、避難しつつも教会を離れることはありませんでした。2年前、私はこの二つの伝道所の牧師となりました。牧師がいないこれらの伝道所で、キリストが待っておられると思ったからです。

1992年、ソウルのイエス教長老会女伝道会館を会場にして、第1回の韓日修練会が開催されてから32年の歳月が経ちました。今回が第8回となります。延べ308名に及ぶこれまでの参加者お一人おひとりを思う時、感慨深いものがあります。今私の手元に、第1回の集まりを記録した本があります。タイトルは、『歴史に生きるキリスト者』、副題は「真の友情から問いかける日韓関係」です。基督教共助会については後で触れることにしますが、本の帯の言葉が、私たちのこの集まりが始まった歴史を良く言い表しているので紹介します。

「第二次世界大戦下、(日本の)山口と京都で学ぶ韓国留学生の間に、日本人教師の手によって福音の種がまかれた。そして、幾多の歴史に耐え、主にある友情に生き続けたこの小さき群が、1992年3月、半世紀を経て初めてソウルで集まりを持った。本書はその記録である。」

アジア太平洋戦争の戦時下に出会い、信仰を持ち、日本の敗戦後半世紀を経て再会した韓日両国のキリスト者によってこの修練会は始まりました。

それでは本題に入ります。

韓日両国に生きる私たちにとって、和解とは何かです。

初めに私と韓国との出会いについてお話ししたいと思います。

私の人生の歩みの中で、初めて韓国人が意識に上ったのは、大学に入学した翌年のことでした。今から半世紀前の1970年代の日本は、負っている課題は違いましたが、韓国と同じく学生運動が盛んでした。私の大学でも大きな運動が起こりました。その時です、一人の上級生がハンガーストライキをして大学側に抗議をしている姿を目にしました。後に知るのですが、彼は日本で生まれ育った韓国人2世で、私は彼との出会いから日本社会における民族差別の現実を知るようになります。知り合った彼からの呼びかけで、一人の在日の青年に対する日本の大企業による就職差別の問題と関わるようになります。差別を受けた青年は裁判に訴えます。裁判所は、大企業側の青年に対する民族差別を認め、青年は勝利しました。そのような歩みの中で、私は70年代から80年代にかけて戦われた韓国民主化運動に出会うことになります。

忘れることの出来ない二つの言葉があります。一つは、この時代に朴正煕(パクチョンヒ)独裁政権と戦い、囚われた後、獄中から出て来て語った一人の知識人の言葉です。彼は、韓国の民主主義について次のように語りました。

「韓国の政治的安定、分断された民族の統一は、根源的な民主化以外にない。民主化とは、国民が主権を行使できる体制にすることである。民主主義の核心は何か、それは人権である。さらに人権問題の核心は何か、それは自由である。自由とは、あらゆるもの、あらゆる道徳的価値をも越える根本的価値であ

る。韓民族は、この自由の価値を、その民族の試練より得て、魂に刻印されている。」

あと一つは、韓国第15代大統領金大中(キムデジュン)氏が、1980年5月に起きた光州事件の首謀者としての罪を着せられ、死刑の求刑を受けた後、法廷で語った最終陳述の言葉です。

「一昨日(死刑の)求刑を受けた時、私にも意外に思えるほど私の心は静かであった。そしてその日は、公判廷に出てきたせいもあったと思うが、いつもよりよく眠ることができた。それは私がキリスト者として、神の欲したもうところであるならば、この裁判部を通して私は殺されるであろうし、そうでなければ、この裁判部を通して私は生かされるであろうと信じて、すべてを神に任せているためだと考える。」

そして、さらに次のように言葉を続けるのです。

「最後にここに(私と同じに)座っていらっしゃる被告たちにお願いする。私が死んでも、またこのような政治報復があってはならないと遺言として残したい」と。

前者の知識人からは、自由を奪われた獄中での経験を経て、彼の全存在から語られる民主主義とは何かが、また後者の金大中氏からは、己の生死の全てを神に委ねるキリスト教信仰とは何かを教えられたように思いました。

このような人と言葉との出会いから、私にとっての韓国、そして韓国人は、日本による植民地統治、そして分断という苦難の歴史を背負いつつ、未だ誰も到達したことのない自由と民主主義の地平を目指してたゆまぬ努力を続けている国であり、そこに生きる民であるのです。

共助会と韓国

次に共助会と韓国について触れます。ここでは、和解の課題が具体的に示されます。

韓国の共助会員であった方々の歩まれた道をたどる時、そこにはある共通した経験を見出します。特に、洪顕義(ホンチャンイ) 、裵興稷(ペフンジク)、金允植(キムユンシク)、李台現(イテヒョン)、尹鍾倬(ユンジョンタク)ら、各先生たちが日本の植民地統治のもとで経験された体験は、厳し過ぎるほどのものでした。

順次触れて行きますが、まず洪顕義(ホンチャンイ) 先生が通われていた崇実中学校は、神社参拝拒否により朝鮮総督府から閉校措置が命ぜられています。また、通われていた山亭峴(サンジョンヒョン)教会は、神社参拝拒否によって獄死した朱チュ 基キ 徹チョル牧師が牧会していた教会でした。

裵興稷(ペフンジク)氏の場合、父親が投獄(3ヵ月)された経験があり、金允植(キムユンシク)牧師は、小学校6年の時、天長節(日本の天皇誕生日)で教育勅語を読む際に頭を下げなかったことが理由で、日本人教師によって血が出るほどの体罰を受けました。また、李台現(イテヒョン)氏も、小学校6年の時、デモに参加したことが理由で「不逞鮮人」と呼ばれ、卒業証書をもらえませんでした。

さらに、長い間、韓国共助会の中心的な担い手であった尹鍾倬(ユンジョンタク)牧師は、父親が日本の官憲からの拷問により身体が不自由となり、日本に対する憤怒の想いに囚われていました。

そのような辛い経験をされた韓国共助会員の中でも、私は、慶尚北道高靈郡にある山塘(サンタン)教会の金泰文(キムテムン)執事から直接聞いた話を紹介したいと思います。彼は、1987年、第1回修練会が開催される5年前ですが、彼のもとを訪れた私たち4人の青年を前に次のように自分が受けた経験を語られました。

「(日本の植民地時代)韓国語の使用が禁じられていましてね。でもハラボジ(祖父)やハルモニ(祖母)は韓国語しかわからない。だから日常会話で祖父母に語りかけるのは韓国語しかないのです。それが警察に通報され、何度も連れていかれました。」

「それはひどいもんでした。警察の柔道場で次から次へと投げわざをかけられましてね。気絶するまでやめないんです。だいたいは1人でしたが、時には2~3人で私一人を相手にしてね。」

このように語った泰文さんでしたが、ご夫人ともども、私たちを心から歓迎してくれました。夕食は焼肉でしたが、本当に美味しく、夫人は私たちに笑いながら次のように語りかけられました。「私が年とらないうちに、もっとゆっくりおいでなさい。年とると接待が大変になるから」と。

私は、思うのです。

なぜ、金泰文(キムテムン)執事にしても、李台現(イテヒョン)氏にしても、尹鍾倬(ユンジョンタク)牧師にしても、またそれ以外の方にしても、これほどの辛い経験をしながらなお加害の側に立つ日本人を許し得たのかです。尹鍾倬(ユンジョンタク)牧師は、延世大学で行われた和田 正先生の「十字架の下で」の講演によって、「実際私は追及してみたい芬怒の矢を多く持っていたが、石はむしろ私自身の胸に投げつけられる形になった」と言って和解を申し出、李台現(イテヒョン)氏は旧制山口高校時代の堀信一教授との出会いから〝I cannot blame Japan and Japanese people because of Prof. Hori. 〟(私は、堀先生の故に、日本及び日本人を責める事は出来ない)との言葉を残しました。

私は、共助会において生起したこれらの出来事から、和解への道程を学び得るように思います。即ち、和解は、人格と人格との出会いを根底に据えて成されるものだということです。そして、和解を導く出会いの基となるもの、それは、加害の側に立つ日本人である私たち自身の韓国、そして韓国の人々に関わる具体的な歩みによって踏み固められて行くのだと思います。

それには、何よりも出会いの積み重ねが求められます。

そして、主イエス・キリストの十字架を仰ぐキリスト者として、韓日の歴史を直視しつつ、その歴史から何を学び、これからの私たちの歩みにどのように生かすかを分かち合う場を創り出すことです。その共同作業を私たち、次の世代、さらにその次の世代へと継承することです。それが、和解の使命を身に帯びることだと思うのです。

韓日の間には、慰安婦問題、徴用工問題に加え、日本国内でも、在日の人々に対するヘイトスピーチ、関東大震災時に起きた朝鮮人虐殺を追悼する式典への反対、群馬県高崎市の県立公園内にあった「朝鮮人労働者追悼碑」撤去など、歴史の事実から目を背けようとする問題があります。このような現実に対し、歴史修正主義を許すことなく、また韓日両政府の時に左右に揺れる動きにも惑わされることのない、私たち共助会の拠って立つ「キリストに在る友情」と「キリストのほか自由独立」のもと、私たちの新たな時代を迎えたいと願っています。

韓日の基督教共助会は、出会い、学び、語り合い、祈り合うことを通して、お互いへの理解を深め、ひいては、韓日両国のみならず、東アジア全体に自由と平和をもたらす働きの一翼を担う群れとなりたいと思います。そして、この第8回韓日基督教共助会修練会が、その一歩を踏み出す歴史的な場となることを祈るのです。

以上、日本側の発題と致します。有り難うございました。