発題と応答第8回韓日基督教共助会修練会特集

応答1) 飯島信先生の発題に対する応答 郭魯悦(カク ロヨル 韓南大学工学部教授)

「その途中、真昼のことです。王よ、私は、天からの光を見たのです。それは太陽より明るく輝いて、私とまた同行していた者との周りを照らしました。私たちが皆地に倒れたとき、『サウル、サウル、なぜ、私を迫害するのか。とげの付した棒で蹴ると痛い目に遭うものだ』と、私にヘブライ語で語りかける声を聞きました。そこで、私が、『主よ、あなたはどなたですか』と申しますと、主は言われました。『私は、あなたが迫害しているイエスである。起き上がれ。自分の足で立て。私があなたに現れたのは、あなたが私を見たこと、そして、これから私が示そうとすることについて、あなたを奉仕者、また証人にするためである。私は、あなたをこの民と異邦人の中から救い出し、彼らのもとに遣わす。それは、彼らの目を開いて、闇から光に、サタンの支配から神に立ち帰らせ、こうして彼らが私への信仰によって、罪の赦しを得、聖なる者とされた人々と共に相続にあずかるようになるためである。」(使徒言行録26:13〜18)

春が始まる3月は韓国では3月1日の3・1節で始まります。そのため、3月は韓国人にとって特別です。今年は第105周年を迎えました。日本帝国主義の武断統治に対して非暴力的・平和的抵抗として民族の正義と自由に向けた平和な独立運動を表出した日です。当時、独立宣言書を発表した33人のうち16人がキリスト教徒であって、キリスト教徒の民族意識がいかに目覚めていたかを知ることができ、独立運動が全国的に広がるのに教会の役割が大きかったです。

第8回を迎える韓日基督教共助会修練会で飯島 信先生が発表された発題文に対して私が答えることができて大変光栄に存じます。私は去年の3月、裵貞 烈(ペチョンヨル)先生の共助会の入会式のとき、飯島先生に初めてお目にかかりました。韓国の私たちの大学まで直接お越しいただき、会員入会を祝ってくださった共助会委員長である先生と役員たちのお姿を通じて、キリスト教徒の友情について深く考えるきっかけとなりました。私は建築工学科において建築環境という工学を専攻する者であるため、今日の修練会で行われる発題と応答という形式が私にとって大変不慣れでございます。そのため、本日のような場においてきちんとした回答を皆様にお伝えすることは不十分であることを、まずはご了承いただきたいと思います。韓国共助会の会員である裵 貞 烈先生が推薦してくださったため、断ることができず、今日この場にあえて立ちました。飯島先生が「韓日修練会開催の意義―和解の使命を帯びて」というタイトルの発題に皆さんも深く共感されたように、感動的で霊感に満ちたお言葉で発題してくださいました。

最初に飯島先生が現在活動されているご近況を話してくださいました。活動される伝道所の位置は2011年東日本大震災で原発事故を起こした東京電力福島第一原子力発電所から20㎞圏内にあり、この地域はこの5年間住むことができなかった廃墟となった所であって、先生が活動される伝道所の一つである小高伝道所に80代の信者が一人いらっしゃって避難生活をしながらも教会を去ることがない方だそうです。先生は2年前の2022年4月、ここの伝道所の牧師になられたのですが、ここに来られた

理由はイエス様がここで待っていらっしゃると思ったからだとおっしゃった部分と、そこの地域にいらっしゃる教会の信徒たちに対して神様に礼拝させようとする牧者の心情と使命を先生を通じて接することになり、深い感銘を受けました。

先生がご発題になった内容の中で重要だと思われる部分を次の6つに要約し、先生がおっしゃった内容に私の意見を添付する形でお話しさせて頂きます。

・ 先生は、1992年に開かれた第1回韓日修練会のテーマである「歴史に生きるキリスト者」、副題で「真の友情から問いかける韓日関係」というタイトルが、キリスト教共助会が韓日修練会を通じて目指そうとする精神を正確に表現したとお考えになられましたが、私も全面的に同感します。韓日関係の和解について表面的に考えてきた私としましては、今日の修練会のテーマについて何も知らないと言っても過言ではないので、今日の修練会のテーマである「キリストの中での韓日間の真なる和解」というテーマを回答者としてどう理解し、どう実践できるかについて、かなり悩みました。32年前に韓国で開かれた修練会のテーマである「歴史に生きるキリスト者、真の友情から問いかける韓日関係」というタイトルは、今日の修練会のテーマである「キリストの中での韓日間の真の和解」をどのように成し遂げられるかという質問に対する答えとして明確に提示できる洞察力のあるタイトルではなかったかと私も思います。

私は23年前博士学位論文を作成するために日本の東京工業大学で1年間研究生として勉強しながら研究に専念し、恩師から論文を指導された時間は、神様が私に施してくださった恩寵の時間でありました。私は、学校においてまた教会において愛と友情を施してくださったり、祈ってくださった多くの日本の方々のお姿を思い浮かべながら常に感謝の気持ちを抱いております。私は、今日のような大きい主題を学問的に深く悩んだり、また今回の修練会の主題に対して明確に実践した経験もありません。従いまして、私は韓日・日韓和解の実践について取り上げた本を探して読まざるを得ませんでした。私が読んだ本は2冊でしたが、1冊目は『韓日和解のため努めた日本人たち』と、もう1冊目は『韓国のために架け橋になった日本人10人、愛でつなぐ』でした。最初の本の文を通じて韓国人の心がどうなのかについてお話ししたいと思います。 

「岸田文雄日本総理は、懸案を解決して韓日関係を健全な形に戻して発展させていこうとしているが、安倍首相の在任期間中、韓日関係は最悪の状況に達した。韓日関係の鍵は歴史の和解にある。国家間で過ぎ去った時期にあった加害に対して、心からの反省と再発防止を約束し、被害者たちが喜んでその反省を受け入れること。これが歴史の和解である。私たちは日本と和解できることを楽しみにしている。私たちは歴史の中で日本から数回侵略を受けてきた。そして対立したことも多かった。今日、私たちは対立と葛藤がお互いの国益に役立たないということをよく知っている。しかし、日本が最も近い過去の侵略に対して、そして、それによる私たちの不当な被害に対して心から反省しない限り、日本との関係の改善自体が私たちの国益にはなりえない。表面的な友好関係は長続きしないことを私たちはよく知っている。今日、私たちは日本の植民地支配と(竹島)に対する日本の挑発、日本軍慰安婦被害、そして強制徴用被害に対して日本に心からの反省を促している。ところが、安倍内閣はむしろ逆方向を選んだ。

反省と謝罪どころか、前政権の責任者らが見せた反省の意志を盛り込んだ立場まで否定しようとしている。長年にわたる私たちの謝罪要求に対する拒否と嫌悪感の表出は、韓日間の歴史の和解をさらに遠ざけている。それなら両国が和解する可能性はないのだろうか? 加害者の過去の過ちに対する反省と被害者の受け入れという歴史の和解は、制度的な次元においてどのように現れるのだろうか。

韓日関係の正常化の後、日本の政治家たちが歴史の過ちを認め、和解しようとする努力を見せなかったわけではない。しかし、数人の政治家たちの謝罪は、常に他の政治家たちと政界の非難と皮肉という逆風を受けなければならなかった。これに対し、歴史の和解のために、より根本的なところで解答を探すしかない。私たちはその答えを民間から探そうとした。民間において歴史の和解の糸口を探そうとした。 それで私たちをして日本人たちとの和解という希望の紐を離さないようにしてくれる日本人たちの事例を探そうと思い、それゆえ8人の人生を提示しました」。

2冊目の本では、上記の歴史の和解の糸口を発展させ、韓国のための架け橋となった10人のキリスト教徒である日本人の人生を次のように説明しました。

「日本人キリスト教徒として自分を犠牲にして植民統治によって抑圧と搾取、蔑視と無視、差別と不平等、迫害と苦しむ韓国人のために命をかけた献身、仕え、世話、愛した10人の日本人キリスト教徒の人生を記録した。これらのキリスト教徒は、歴史的現実の前で異なる人生を送った。韓国人の暮らしに入り、彼らの隣人になることを望み、日本人の蛮行に心を痛め、償う気持ちで行動し、声を高めた。韓日の暗鬱な過去の歴史の中に閉じ込められず、キリスト教徒がどのように生きていくべきか方向を知らされた。イエス・キリストに従う者が追求すべき恒久的価値が何かを知りながら、このキリスト教徒たちがどのように生きてきたのか、次のように話している。

第一に、このキリスト教徒たちは不義な歴史的事実と状況において、イエス・キリストが見せた人生を生きた。

第二に、このキリスト教徒たちはその時代の限界を持つ人々だが、政治と理念の枠組みに閉じ込められず、正しい歴史意識を持って聖書の言葉どおりに行った。

第三に、このキリスト教徒たちは今日の観点から宣教的生活を完全に理解して生きた人々である。」

以上の文章を通じて確認したように、キリストの中で日韓間の真の和解の道について、32年前の修練会で、テーマのお言葉として「歴史に生きるキリスト者、真の友情から問いかける韓日関係」と答え、それから32年_________が過ぎた今日この時間にも、飯島先生は再び私たちに「キリストの中で日韓間の真なる和解」をどのように具体的に成し遂げなければならないかを思い出させてくれました。

・ 先生は、韓日両国に住む私たちに、和解はどのように可能なのかをおっしゃるために、先生ご自身の人生の歩みの中で、韓国人を意識されるようになった韓国との出会いについて語られました。先生は韓国人2世に出会い、日本社会で民族差別の現実を知ることとなり、1970年から1980年にかけて日本で韓国の民主化運動を支援しながら、韓国で独裁政権と戦い、投獄後に出所した一人の次の言葉を深く刻まれました。

「韓国の政治的安定・分断された民族の統一は、根源的な民主化の他にはない。自由はすべての道徳的価値を越える根本的価値であり、我が民族はこの自由の価値をその民族の試練から得て魂に刻印している。」

この言葉の中での「民族の試練から自由の価値を得ており、民族の魂に刻印している」という言葉の私たちの民族にとって試練の意味は何だったのか。多くの試練によって綴られた私たちの民族を再び認識するようになりました。また、先生は死刑の求刑を受けた後、法廷で最終陳述を披瀝した、金大中(キムデジュン )前大統領の次の言葉を深く刻まれました。

「死刑の求刑を受けたとき、私にも意外だと思うほど私の心は静かであって良く眠ることもできた。私がキリスト教徒として殺されることも、生かすことすべてを神様に任せているためだと思う。そして、私が死んでも、再びこのような政治報復があってはならないと遺言で残したい」。

先生が考えていらっしゃる韓国そして韓国人は、日本による植民地時代、そして分断という苦難の歴史を背負いながらも、まだ誰も到達していない自由と民主主義の地平を目標に絶えず努力

している国であり、そこに住む人が韓国と韓国人だという認識を持たれていらっしゃることに深く感謝します。私自身、祖国と私たち同胞が持つ面々を新たに理解するようになり、飯島先生が一生追求される仕えの真骨頂を深く理解することができました。

・ 韓国の共助会員だった方々が歩んできた道を簡単に紹介してくださいました。韓国の共助会員たちは、被害者として苦しい経験をされながらも加害者側に立った日本人を心より許しました。そのうち、尹鍾倬(ユンジョンタク)先生の次の言葉を引用されました。「実際私は追及してみたい芬怒の矢を多く持っていたが、石はむしろ私自身の胸に投げつけられる形になった」と述べながら和解を申

し入れましたし、李イ台テ現ヒョン先生の旧山口高校時代の堀 信一教授との出会いを通じて披瀝した言葉を思い出されました。「私は堀教授のせいで日本および日本人を責めることはできない」という言葉が深く近づいてきました。

・ 先生は韓日キリスト教共助会で行われたこれらの事件から和解の旅程を学ぶことができ、次のように様々な和解の道を具体的に提示してくださいました。和解は人格と人格との出会いを土台に行われるもので、和解を導く出会いの土台になるのは加害者の側に立つ日本人自身が韓国、そして韓国の人々と関連した具体的な歩みで固めていくことであります。そのためには何よりも交際の蓄積が求められるというお言葉が深く迫りました。私も日本の方との人格的な出会いが、日本と韓国の理解と信頼の関係の始まりだと信じています。横浜にある青葉台改革教会で日曜礼拝をしながら牧師先生から頂いたお言葉と、礼拝後の交際を交わす時間において私の生活と学業に対して励ましてくださった牧師先生と長老のお言葉は、両親の言葉のように大きな力になりました。

・ 先生は、主イエス・キリストの十字架を仰ぐキリスト教徒として、韓日の歴史を直視しながら、その歴史から何を学び、今後の私たちの歩みにどのように生かすべきかを分かち合う場を作り出すことが重要だとおっしゃって、そのような共同作業を私たち、次の世代、さらにはその次の世代に継承すること、それが和解の使命を身につけることだといお言葉に、私は大きく共感致しました。過去と現在を超えた未来に向かって、私たちの関心が持続可能になるように、私たちに邁進するように悟らせてくださいました。

・ 先生は韓日キリスト教共助会は出会い、学び、対話、祈りを通じてお互いに対する理解を深め、ひいては韓日両国だけでなく東アジア全体の自由と平和をもたらす役割を担う群れになり、今日のこの修練会がその一歩を踏み出す歴史的な場になろうというビジョンをおっしゃってくださいました。

初めに読みましたお言葉である使徒言行録に記録された和解の人を申し上げながら、私の応答を終わらせて頂きます。パウロは、自分が迫害してきたイエス様が神様であるという真理を、神様が直接聞かせてくださる音声を通じて悟りました。パウロはイエス様が死に勝って復活して生きていらっしゃるという福音の真髄を神様が直接くださる音声を通じて受けました。そして驚くべきことに、神様はパウロの過ちをまったく取り上げませんでした。神様は、神様を迫害し苦しめた仇に会うやいなや福音を悟らせるだけでなく、パウロに途方もない使命を委託されます。神様は一言の責めもなく、一瞬にして、数十年間行ったすべての過ちを赦してしまい、自分の子供として受け入れてくださり、使命まで任せました。神様の恩恵をパウロが受けました。これを私はどのように理解し、受け入れるべきでしょうか。私の姿、私の罪悪な姿の向こうにいらっしゃる神様のお呼びを眺めて、彼の志と経綸を頼りにします。 また、このパウロが使徒として使命を始める過程で、バルナバが決定的な役割を果たしました。パウロが実際に福音伝播の使命者として乗り出すには、必ず解決しなければならない課題がありました。それは当時エルサレムにいたイエス様の弟子たち、すなわち使徒たちと関係を結ぶことでしたが、この問題は非常に難しいものでした。パウロはもともとイエスに反対し、イエスを信じる者たちを迫害した者だったからです。この問題の前で、バルナバは危険を冒して殺害の脅威まで受けていたパウロを立たせる真の同役者の姿を見せてくれました。

「しかしバルナバは、サウロを引き受けて、使徒たちのところへ連れて行き、彼が旅の途中で主に出会い、主に語りかけられ、ダマスコでイエスの名によって堂々と宣教した次第を説明した。」(使徒言行録9: 27 )

バルナバがパウロの同役者である決定的な証拠は他にもあります。

「それから、バルナバはサウロを捜しにタルソスへ行き、見つけ出してアンティオキアに連れ帰った。二人は、丸一年の間そこの教会に一緒にいて、大勢の人を教えた。このアンティオキアで初めて、弟子たちがキリスト者と呼ばれるようになった。」

(使徒言行録11: 25 ―26)

パウロが福音伝播の使命者として立つように道を開いてくれた人が仲裁と和解の人であるバルナバです。神様は私たちが福音を悟り、主がくださった使命で和解の人として生きていくことを願っておられます。バルナバとパウロのように、私たちが日本と韓国において、真理の人、和解の人として暮らし、先生が私たちの集いにくださったビジョンと世界に対する福音宣教に向かって、同役の喜びを享受する私たち韓日キリスト教共助会になることをお祈りします。ありがとうございました。