【応答】「日本のキリスト教共助会に願う」への応答 基督教共助会委員 木村 葉子
「神の義と神の国を求めなさい」
今回、韓国共助会の皆様の心のこもった歓迎を受け、共助会100周年記念の韓日修練会に参加できました事を心より感謝いたします。私は、大学生の時に共助会に誘われ、現在まで50年の共なる歩みを許されました。信仰に生涯をかけた信仰の先達に教えられ、良き友に支えられて信仰を育てられてきました。それは、100年の歴史の半分にあたり、小さき私を思う時、恵みの大きさに感謝の他はありません。私は、長らく高校で理科の教員をしてきましたが、その後、神学院で学び、教会の働きに召されて9年目です。共助会によって教えられ、目が開かれ、教育や福音宣教の働きを通して、ますます福音の真実と力を知らされています。
最初に韓国に来たのは1987年、第3次韓国問安です。その後、韓日修練会は第4回を除き第1回から全て参加しました。第2回目は家族で参加し、その時、幼かった次男は今、理科の教員となり学校についてよく話します。今回は応答ということですが、私の経験した東京での教育裁判についてお話しします。
基督教共助会の始まった1919年は、韓国の、三・一独立運動の年に当たり、日本の植民地支配による苦難の歴史に重なり、日本人として大変胸が痛みます。しかし、主なる神は、その正義と憐れみによって、過酷な歴史の中に、韓国の留学生と日本の共助会との間に、「命の水」の地下水を流れさせてくださいました。皇民化政策の弾圧の下、ミッションスクールの学校を閉鎖されて留学生として来日した洪 彰義先生始め、李 英環先生、李 仁夏先生などが、山口の堀 真一先生、京都の和田先生、東京の共助会の先生方と出会って、聖書の学びをしたことは、大きな主の恵みでした。苦難の時を、揺るがない固い信仰を与えられて、韓国に帰国して朝鮮戦争で音信不通の時も、戦前、戦後を通して、韓日のキリスト者の「主にある友情」を固く結ぶ愛の帯となりました。私も若き日から、度々、集会で先生方のお名前をお聞きしましたので、今も懐かしく耳に響きます。
小さき群れ共助会は、韓国と日本のキリストの信仰による和解という「命の水」で生かされ潤されてきました。私も特に忘れ難いのは、1979年、尹ユン 鍾ジョン倬タク先生の講演です。尹先生から小学生時代経験した、日本の官憲や教師が権力を笠に着てどんなに酷いことをしていたか実態を聞き、衝撃を受け顔が上げられませんでした。尹先生のお父様は、固い信仰の長老として、宮城遥拝や神棚を強制するキリスト教弾圧に抵抗し、官憲から繰り返し暴行投獄を受け、生涯酷く体に障がいを負いました。一方、日本人教師の下で小学生の尹少年は、韓国語を使った罰として「犬の札」を首にかけられ、子どもたちは教師にののしられ怒鳴られ、幼い心が恐怖と屈辱に震え傷つき苦しめられました。日本の侵略支配の残忍な圧倒的な罪。尹先生が、日本人を嫌い恨み、決して赦すことのできないのは当然でした。
ところが、戦後20年経って、共助会の和田正先生と、当時学生だった澤正彦先生が、延世大学を訪ねて、学生の前で、戦争責任の悔い改めと心からの謝罪をしました。それに出会った時、尹先生の心に大きな変化が起きました。決して赦すことのできなかった恨みが「キリストの十字架の愛」に溶かされ、驚くことに被害者なのに尹先生は「今まで赦せなかった罪を赦してください」と手を差し伸べ、和解を実現されたということです。本当に人の思いでは起きないことです。
「実にキリストは私たちの平和であって、二つのものを一つにし、敵意という隔ての壁を取り除いて下さった。(エフェ2:14)」
この講演は、私の心に深く残り、キリストの福音の力について、歴史や、教育の使命について考えさせられ、和解の道を、キリストが開いて下さる希望となりました。そして、教育の中で、本当に日本の私たち教員と生徒たちが歴史をはじめすべて真実を学び平和を求める人になるように祈りつつ仕事をしたいと思いました。その講演の時、尹先生が、私たちに下さった黄色い「壁掛け」が今ここにあります。今回、大邱に尹先生をお訪ねするので持ってまいりました。
悲しいことに、今も、韓国と日本の溝は埋められず、安倍政権の下でさらに深まっています。軍事大国化、非民主的な安倍政権は、日本を壊す戦後、最悪の政権だと私には思われます。福島第1原発事故後対策の軽視や、軍事基地の沖縄。平和憲法改悪案など大変心配です。愛国心教育、道徳や歴史・社会科の偏向した教科書、意見の制圧や監視など、学校を始め、息苦しい空気が社会に広がっています。この傾向は以前からあり、1999年の国旗国歌法が出来て、学校では、「日の丸・君が代の強制」が始まりました。「日の丸」は戦前、戦場に立てられ、「君が代」は天皇の時代が長く続きますように、という歌です。2000年、共助会有志もこの国旗国歌強制に反対する声明を出しました。
わたしは、都立高校で物理を教えていました。核兵器と戦争反対の平和学習の思いから、授業で、自然科学を学ぶ意味や、科学者と市民の責任についても語りました。都立高校では、ずっと「君が代」しできました。国旗国歌法のできた後、わたしの高校では、「心の自由の説明」をしました。憲法で保障されている「心の自由」によって、「君が代」を歌うか歌わないかは自分で決めることができる、というものです。卒業式の予行で説明した時、一人の在日韓国人の生徒がじっと司会の教員を見つめ涙を流したことを忘れることができません。以前、小中校で無理に歌っていたのです。私たち教員は、この説明の必要を確信しました。しかし、現在、説明は禁止されています。
2003年、東京都の石原都知事は、学校行事での国旗・国歌実施を100%にし、反対する教職員をゼロにするために、国歌の時、起立しない教職員やピアノ伴奏をしない教員を処罰する通達を出しました。当時、共助会で、李 仁夏牧師に話すと、「1000人の教員が起立しなければ勝てる」と励まされました。
私たち教職員は、予防訴訟という、処罰される前に、「この通達が、憲法と教育基本法に違反していると訴える」新しい方法で、石原都知事と教育委員会と闘いました。初め予防訴訟を提案した教員は私を含め数名でした。教職員組合も、学者も、弁護士も、それまで国旗国歌の裁判は全て敗訴してきたので、「敗訴しかない。敗訴すればもっと強制される」と大反対でした。しかし、通達が出されると直ぐ、学校行事に多数の役人と警官が監視に来て、抵抗者を多数告発したので、予防訴訟を起こす決定を議論しました。私は責任の重大さに、キリスト者として神さまにひたすら祈りました。提訴が決まると原告になる教員が続々と集まり、教科書裁判などの有能な弁護士と学者が多数集まり、270人の教員原告で提訴できました。その春の卒業式・入学式で東京都は、各学校に監視を配置し200名の教員を処罰し、酷い強制の嵐が吹き荒れました。私たちは直ぐ、処分撤回裁判を起こして教育に対する弾圧と闘いました。
教員には、戦前、戦争に加担した反省から、「再び、教え子を戦場に送らない」という、不戦の誓いがあり、都立高校でも、天皇制軍国主義のシンボルであった「日の丸・君が代」を行いませんでした。戦前の教育の誤りを正し、戦後は、1947年教育基本法が制定され、生徒の人権を尊重する、生徒の成長のための教育と変わりました。これらの裁判は教員の、この教育観に立って、近隣アジアに対しても自国の戦争責任を自覚する、教職員たちの責任と良心を表すものでした。
私は、原告として両裁判の陳述書に、尹 鍾倬先生の講演を引用しました。また、法廷で、証人尋問に立たった時、この通達は、江戸時代、幕府がキリスト教を弾圧した「踏み絵」のように、憲法で保障された、教師と生徒の、思想、良心、信教の自由を踏みにじると答えました。精神の自由は、真の教育の土台であり、特に、人間の尊厳は、人間に神の像が刻印されていることに由来すると私は信じます。また、わたしは、戦前、再臨信仰と天皇のことで弾圧を受けたホーリネス教会に属するキリスト者としても、この通達に従えないと答えました。
学校がますます様々に抑圧され、教員が病気になり退職者も増えました。私も辛くて退職し、神学校に入りました。この15年間、毎年、処罰者が出て、新しい撤回裁判が増えました。予防裁判の原告は403人に増えました。2006年、予防裁判の第1審判決は、何と、教職員側の訴えを全面的に認める画期的な勝訴でした。法廷にいた弁護士や学者も教員も驚き喜びあいました。夢のようでした。全国の新聞のトップに大きく教員側勝訴の記事が載りました。しかし、この判決の前日、第一次安倍政権が決まり、3か月も経たず、教育基本法を改悪して、愛国心教育をさらに強化しました。予防裁判は、二審で逆転全面敗訴、2012年、最高裁判所で不当にも敗訴確定になりました。しかし裁判官の意見は割れ、私たちの訴えを認める反対意見と東京の教育の現状を憂慮する補足意見が付き、真実な教育を求める闘いの貴重な公文書となりました。私には、一審の勝訴は、神さまからの大きな励ましであり、二審の逆転敗訴は、悪に傾く世の現実を見すえ落胆せず真実な主に信頼することを教えるように見えました。都内で処罰443件の処分撤回裁判は、苦労の連続でしたが、全国から支援署名が届き、停職、減給の重い処罰の取り消しを勝ち取り、都教委に一定の歯止めをかけました。しかし、学校の状況は悪くなる一方で、大阪府でもさらに酷い処罰が続いています。最高裁は繰り返し、通達の憲法違反を認めません。国旗・国歌を行う教員の職務は、「儀礼的所作」だから憲法に違反しないと判決されているのです。これは、戦前、天皇制神社参拝が、宗教でない儀礼として、キリスト教徒に強制されたと同じ論法です。私たちは最高裁判決の変更を求めています。この欺瞞的な教育観は、日本の教育の様々な圧迫を許しています。私は学校に精神の自由があり生徒も教師も生き生きとした真実の学びと友情のある教育となることを願っています。
韓国の国旗は、太極旗ですね。1919年の抗日独立運動の行進の先頭に振られた、民族独立のシンボルとして、戦後、制定されたものと知りました。誰もが民族の誇りと敬意を素直に表すことができると聞きました。何と幸いなことでしょう。
日本も、敗戦時に、国旗、国歌を民の側のものに変えておいたら、今もこんなねじれ、争いがないのにと思います。天皇制をもつ、日本の大きな課題です。
しかし、私たちイエスをキリストと信じる者は「国籍は天にある」、十字架の貴い罪の赦しのもとに主にあって、赦しと和解の希望があり、友とされて、国も民族の隔てもなくされました。「神の国と神の義を求める」(マタイ6:33)友として、国を越えて愛しあい、信仰を支えあい祈りつつ歩みたいと思います。感謝します。
(ウェスレアン・ホーリネス教団 ひばりヶ丘北教会牧師)