沖縄の叫びを聞くとき M.K.
先日、テレビを見ていたら「夏だけじゃない! 秋の沖縄特集」が放送されていました。さて沖縄のどんな一面を放送してくれるんだろうかとみていると、映しだされるのはきれいな海とリゾート地、おいしそうな沖縄料理と笑顔をみせる人々の姿でした。1年のうちにこういう「沖縄特集」は何度も目にしますが、どの特集も同じように思います。沖縄はいつも、そのきれいで美しいところだけを切り取られ、その裏に潜むうちなーんちゅ(沖縄の人々)の悲痛な叫び声はその一切が意図的に遮断されています。そしてその構造は、日本で唯一の地上戦である沖縄戦が勃発した80年ほど前から何も変わっていません。今回の感話では、そうした沖縄の米軍基地問題と人々の苦しみ、そしてそれらに対する本土の応答責任を、主なる神の姿を通して再考したいと思います。
まず、14世紀に誕生した琉球王国は、中国や東南アジアなど周辺諸国と交易しながら、「大交易時代」と呼ばれる一時代を築きました。1609年に薩摩藩の武力侵攻を受けてからは、薩摩の支配下に置かれましたが、諸外国との交易は続き、日本や中国の文化も吸収しながら、独自の琉球文化を形成していきました。しかし1879年に、明治維新の武力弾圧によって、琉球王国は強制的に日本と併合され「沖縄県」となりました。そして1945年の4月に、沖縄諸島に上陸したアメリカ率いる連合国軍と日本軍との間で、沖縄戦が勃発したのです。この沖縄戦では日本とアメリカのそれぞれが異なる目的を持っていました。アメリカ軍の目的は本土への攻撃の足掛かりとして沖縄の日本軍飛行場を破壊し、占拠すること。対して日本軍の目的は、本土防衛のための時間稼ぎとして米軍を沖縄で足止めすること。どちらにせよ沖縄は両軍の単なる「捨て石」として扱われたのです。そのような沖縄戦が勃発した背景には、前年の1944年に日本軍の後方拠点であるトラック島とサイパン島が陥落したことがあります。その現状を見た日本軍は沖縄での地上戦に備えて沖縄本島だけでなく、宮古島や石垣島など、沖縄各地に航空基地をつくります。また沖縄に40ほどある離島に、陸軍中野学校で教育を受けたスパイたちを送り込み、住民たちまでもが軍事作戦に巻き込まれていく構図を作り上げたのです。その結果、沖縄戦では、沖縄県民の約4分の1が犠牲になりました。
そうして沖縄戦で負った沖縄の深い傷は現在においても「米軍基地」という形でいまだに顕在しています。現在の普天間基地などのように戦後アメリカ軍が強制的に接収してできた基地もあれば、日本軍が強制的に住民たちを駆り出して作った基地がそのまま現在の米軍基地になっている場合もあります。2024年現在、沖縄は国土面積のうちのわずか0.6%を占める非常に小さい県であるにもかかわらず、日本が持つ米軍基地の70%以上を沖縄が負担しています。「たった0.6%の面積に70%の米軍基地がある場所」、それが沖縄の姿です。
私は今年の三月に、ありがたいことに「沖縄の基地を引き取る会・首都圏ネットワーク」のみなさまからのご厚意で、数名の学生とともに沖縄に足を運ぶ機会が与えられ、そこで実にたくさんの苦痛を目の当たりにしました。沖縄国際大学の学生たちと沖縄基地問題についてのディスカッションをした際に、議論の白熱する教室で一人、「もういいんです、どうせ私たちの声が通ることはないし、あきらめてます」とうつむきながらつぶやいた、沖縄の学生の姿。
そして、キャンプシュワブゲート(基地を建設するための埋めたて工事がされている場所)前での抗議活動に参加した際に、大勢の黒ずくめの機動隊が目の前に立ちはだかり、抗議活動に参加している人々を次々に持ち上げて、埋め立て用のトラック通れるように機械的に彼らを道の端に寄せていく姿。それらを前にして、ああ、民主主義などというものはこの地においては存在しないのだと痛感しました。同時に、日本と沖縄の間の「構造的差別」を通して、自身のクリスチャンとしての生き方を真っ向から問われたようにも思いました。自国の醜悪な本性を目の当たりにしながらもなお、自身の生活の忙しさを盾にして、沖縄に尋常ではない痛苦を強いている人間がどうして「隣人愛」など語ることができようか。そもそも私はクリスチャンとして生きているはずなのに、神の前で真の意味での「悔い改め」をしたことなど一度でもあっただろうか、と。
さて、これほどまでに屈辱と苦悩を強いられてきた沖縄に目を向けるとき、そこには出エジプト記に登場する、イスラエルの人々の姿を重ねることができます。エジプトの元で苦しみ悶える彼らに対し、神はどのような行動をとったでしょうか。先ほど読んでいただいた、出エジプト記3章の7節をみると、主なる神は「エジプトにいる彼らの苦しみをつぶさに見、追い使うもののゆえに叫ぶ彼らの叫び声を聞き、その痛みを知ったために、天からくだっていき、エジプト人の手から彼らを救い出す」。つまり、神は彼らの苦しみにきちんと応答し、その苦しみを取り除いて救ってくださるのです。そこには、神々しい存在としての神ではなく、小さきものの声を聞き、ともにいてくださる神の姿があります。神と私たち人間との立場はもちろん違えど、沖縄の苦しみを見、その叫び声を聞くとき、我々が神から学ぶべきことは確かにあると私は今、深く感じています。
では、私たちは沖縄の苦しみを聞くとき、どのように応答すればいいのでしょうか。一つの可能性として『県外移設』というものがあります。この『県外移設論』というのは「沖縄にある基地を本土が引き取る」ということ、つまり「日米安保の恩恵だけ取っといて、邪魔なものを沖縄に押し付けるんじゃなくて、その邪魔なものもすべて本土に持って行ってくださいよ」ということです。実際に2023年の内閣府による世論調査では日本人の約90%が日米安全保障条約に賛成であると答いますし、
「だったら県外移設をしてくれ」という意見が出てくるのも、当然のことだと思います。しかしながら、琉球新報の調査によると、全国世論の過半数以上が「沖縄の米軍基地が自らの住む地域には来てほしくない」と回答しているという現状があるのです。「いらないものは捨て石場へ」捨てられ続け、人々の声はそのゴミとともに埋もれていく。そのごみを放っているのは、残念ながら紛れもなく、私たちなのです。そんな我々だからこそ、その声をしっかりと聞く必要があると思います。彼らの声を聞く、というのは、自身を取り巻く社会、およびその社会に生きる自身にあることを自覚しながらも、主なる神がエジプト新王国の支配に苦しむイスラエルの人々にしたように、その苦しみをともに感じ、ともに立ち上がるということなんだと思います。
出エジプト記において、捕囚されたイスラエル人がエジプトでの「差別社会」から抜け出そうとするように、日本とアメリカの「捨て石」として搾取され続けている沖縄も、その構造的な「差別社会」から抜け出そうと必死にもがいています。日本国内においてたった1%の人口しかいない小さな場所で、必死に訴えています。その声を聞くとき、主なる神のように即座に救い出すことはできなくとも、その苦しむ声に応答し、自身の罪とがを悔い改め、正面から向き合って行くことはできます。愛の対義語は無関心であると言いますが、自分自身が愛に溢れた人間になっていけるように、また日本という国自体がそうした社会を築き上げていけるように、沖縄に対して関心を向け続けてきたいと、いま強く感じています。(国際基督教大学 学生)
(写真)辺野古の基地建設に対するキャンプシュワブゲートでの抗議活動にみんなで参加した際に、私が掲げたプラカード。本土からやってきてこのプラカードを掲げ、 その時感じた心の痛みだけを本土に持ち帰ることに、果たして何の意味があるのだろうかと考えさせられた。