寄稿 青年の夕べ

出会いと祈り 藤田琴子

立川教会 「青年の夕べ」 感話

祈り、それは私の安心の土台になっています。対人支援の働きをしていて、どうしようもないようなことがあったときに、「どうしようもないです。私には出来ません。どうぞ神様そこにいてください。」と祈れることはとてつもなく大きな支えです。愛してるよ、大事だよと言ってくれるイエスの十字架と復活の赦しの光が、どんな時でもあるのだと聞いて育った私にとって、その光はもはやあってもらわないと困るものです。それが私にとっての安心になっています。変わってもらっては困るほどの「安心」を知っている私だからこそ、それを自分だけのものにするのではなく、分け合って生きたいという願いがあります。安心があるからこそ、他者との関わりに飛び込んでいける、揺れの中に留まっていられるのかもしれません。今回は私が今まで出会ってきたこととその中で祈ってきた言葉を分かち合いたいと思います。

韓国での出会い

中学2年生の時に韓国に行きました。日本バプテスト連盟の中高生向けの「隣人に出会う旅」という企画で、日韓の歴史について資料館に行ったり、現地の方々の話を聞いたりする機会が与えられました。もともと植民地支配や在日差別の問題について学ぶ機会があった私は、なんとなく「知ったつもり」でいました。しかし実際に韓国に行ってその土地を歩き、人に出会い、彼らの表現に触れる中で、こんなにも深い痛み、苦しみ、悲しみ、叫びがあったのかと、「知ったつもり」の自分を恥じ、悔いる思いになりました。特に、提岩(チェアム)教会(1919年、日本の憲兵が地域住民を教会に集め、閉じ込めた上で放火し、逃げようとした人たちを銃殺した事件があった教会)で出会った方に言われた言葉は今でも覚えています。「許します。けど忘れません。皆さんがここに来てくれてよかった。だからどうか、ここで知ったことを周りの人に伝えてください。」このように投げかけられた私はその晩祈りました。知らない罪を赦してください。伝えられる人になれますように。

韓国から帰国し、教会関係の場で何度か韓国の旅のことについて話す機会が与えられました。想いばかりでまとまらない話を、本当に真剣に、中には涙を浮かべながら、自分には何ができるのかと自分ごととして考えて聞いてくれる人たちが私の周りには何十人もいました。自分が発信することで、想いは伝わって、何かが少しでも変わっていくんだ、という希望と、出会ったからこその責任を負っていくことの緊張で、呼吸が浅くなっていたような気がします。

神様の愛に自分の命と存在が根底で支えられながら、私の声を聞き、私に問いを投げかけ、一緒に考え、祈り、後押しをしてくれる人たちに囲まれていた私は、この世の不条理に出会った時も、人間の愚かさや自分の弱さに直面した時も、安心して泣き、安心して悩み、その悲しみと悔しさを、「では自分にできることは?」という問いに変えるエネルギーにしていくことができました。なんと恵まれていることかと思います。

キリストの平和

高校は公立高校の国際学科に進学し、テニス部で真っ黒こげになりながら、Glocal-Y 部でも活動をしました。Glocal-Y 部とは“Think globally, Act locally” という言葉を由来にした名前で、貧困や戦争に関わるフィールドワークをする部活でした。一つのこ

とを色々な視点から学びたいと思った私は、ICUにAO受験しました。その頃「平和」という言葉の意味がねじ曲げられている世の中に私は不安と恐れを抱いていました。「キリストの平和をつくる者として用いてください」という祈りがあり、その想いを出願書類に書き込みました。

ICU在学中も本当に沢山の出会いが与えられ、沢山の旅を

しました。在学中に特に自分のテーマになっていた祈りがあります。

本当は繋がっていることに気づけますように。分断ではなく、繋がりをつくることができますように。

共に生きる喜びを分かち合えますように。違いによる争いではなく、違いがあるからこその豊かさを感じられる場を作れますように。

大学4年になり、周りはスーツを着て髪を黒く染めて就活をしていました。やりたいことが溢れていた私にとって、仕事としてやることを選ぶということは難しいことでした。迷いの中にいたとき、大学の先生に言われたのが「ミッションを見つけてくださいね。Passion・Action・Mission ですよ。」という言葉でした。パッションを持って、アクションを続けていくうちに、ミッションが見えてくる。パッション。自分にとってパッションが湧く時。心を突き動かされ、アクションへと駆り立てられる場。それは社会的に弱くさせられている人たちと出会う場、一緒に過ごす場でした。

社会福祉士へ

そしてふと行き着いたのが「日本にいる難民の子どもに関わりたい」という思いでした。行く場所も帰る場所もない、様々な不安要素がある生活の中で過ごしている子どもたちの心と身体が守られるように何かしたいという想いがありました。周りに相談したときに知ったのが「社会福祉士」という働きです。自分の関心が「福祉」というものに近いとその時初めて知りました。難民の家族に関わっていくときに活かせると思い、社会福祉士の資格取得を目指すことにしました。その時の実習先が今働いている母子生活支援施設です。

母子生活支援施設での働き

母子生活支援施設は児童福祉施設の一つで、母子家庭の家族(子どもが原則0歳〜18歳)が暮らす入所型の施設です。世帯ごとの部屋があり生活スペースは独立していますが、事務所や共用スペースがあり、お母さんたちが事務所でお茶をしていたり、子どもたちが大きな部屋で遊んだりしています。DVから逃れてきたケース、精神疾患や知的障がい、様々な生い立ちの影響から子の養育に不安があるケース、経済的な立て直しが必要なケース、外国にルーツがありサポートが必要なケース、離れて暮らしていた親子が再統合して入所するケース、本当に様々な家族が入所します。

母子の心理的ケアや親子間調整、生活上の相談、育児相談、就労支援、転居支援、子どもの遊びや学習支援など。病院に通院同行したり、弁護士と調停の相談をしたり、乳幼児のおむつを替えたり、公園で小学生と走り回ったり、親子喧嘩の仲裁をたり、居室の虫退治をしたり……と職員はなんでも屋さんです。それぞれの家族に必要なことをその家族に合わせて考えて関わっています。親子は様々な状況からこの施設にたどり着きます。あらゆる暴力によって傷つけられたり、裏切られたり、負い目があったり。「もう誰も信じないって決めてるから」と言い

出会いと祈り

放つ人もいます。私の当たり前と、出会う親子にとっての当たり前の違いに愕然とすることもあります。暴力が当たり前になっていて、それを暴力とも感じずに過ごしてきた人には、「あなたが大事だよ」と口で伝えるだけでは何も伝わりません。帰ってきたときに「おかえり〜」と迎え、「お腹すいた」と言われたらおにぎりを握り、パニックになっていたら抱きしめ、「死ね」と言われたら冗談混じりで「私は好きだよ」と返事し、一緒にごはんを食べながら大爆笑し、悲しいときには一緒に泣く。そんな体験を積み重ねることで、「大切にされるってこういうことかな」と初めて体感できるのだろうと思います。

中には、愛なんてクソくらえ、そんなの嘘だ! というお母さんもいます。私自身親にあまり反抗できず、「どうせこう言うでしょ」と意地になって、自分の感情や考えを伝えないこじれた反抗期で親と話せなくなりました。その中で本当に親を傷つけてきた。それが分かっているのに、そのようにはしたくないと思っているにも拘らず、変えられない。「家族って難しい」という感覚が私にはあります。それでも、親の愛情をしっかり受けてきた私は、愛なんてクソくらえ! というお母さんたちの気持ちは分かりきれません。けど理解したい、けど一緒にいたいんだ、ということを伝えることしかできないなと思います。「どうせ私なんていなければいいって思ってんでしょ!」とあるお母さんに言われた時、「そんなこと思ってるわけないでしょ!」と泣きながら怒ったことがあります。その後から「どうせ私がいななったら探しに来るんでしょ」と半分鬱陶しそうに、半分嬉しそうに言うようになりました。数年経った今も、彼女からは「あの時琴子泣いてたよね」とニヤニヤしながら話されます。お互いにとって忘れられない時間です。「伝わったんだな」と思えて嬉しくなります。私自身は周りの人たちに大な存在として受け止められ、肯定する言葉をかけてもらって生きてきました。そんな私は「死ね」「お前なんて生まれてこなければよかった」と言われてきた人の気持ち、苦しみ、痛みを理解し尽くすことはできないけれど、同じように共感できるかは、「あなたが大切」と想う私の気持ちを伝えるときに、絶対必要なものではないのだと思っています。

あまり施設での具体的な出会いや関わりをオープンにお伝えできないので、その中で生まれた祈りを共有します。想像力を働かせながら、共に祈りを合わせていただければと思います。ひっそりとした声に、はっきりとしない違和感に、気付ける身体を与えてください。

無くしたくない日常をつくることで、戦争を望むような心ではなく、平和を願う心が育まれますように。あなたが全ての痛みを知っていますから、そこに寄り添ってください。慰めてください。癒してください。何が正しいのかなんてわかりません。どうか、せめて、大切に想っていることが伝わりますように。なぜこんなことになるのでしょうか。私自身が希望を持ち続けられますように。光を与えてください。

見逃してきたこと、傷つけてきたこと、奪ってきたものがあります。どうぞ赦してください。あなたの赦しの中でしか歩めません。

いちほの会

誰かや何かのせいにするのではなく、今の私ができることを為すことができますように。

この祈りから生まれた活動が「いちほの会」です。いちほの会は、児童相談所の一時保護所について様々な立場の人と共に考え、声を集めて届け、繋いでいく活動をしている任意団体です。この活動は、母子生活支援施設の学習支援での現場での出会いがきっかけとなり立ち上がりました。妊娠をした高校生は産むことを決断しましたが、彼女の家庭も虐待環境で、十分なご飯も食べられず、必要なお金ももらえず、いつお腹を蹴られてもおかしくないという状況でした。安全に出産を迎えられる状況ではなく、一時保護してもらうことを提案しました。しかし彼女は即答で「一時保護所だけは絶対に嫌だ」と保護されることを拒みました。以前にも一時保護所で保護された経験があり、保護所でのルールが過剰に厳しかったこと等を話してくれました。とてもショックでした。保護されることよりも虐待環境の家を選ぶ、そんなことがあっていいのか。「保護所に行けば大丈夫」と安心して送り出せる場であってほしいし、子どもたちにとって安心できる場であってほしい、という思いが湧きました。

誰かや何かの責任として思考停止するのではなく、その状の具体的な改善の手立てを考えたいと思い、この問題意識を周りのソーシャルワーカーに話しました。すると、共感者が多く、自分たちにできることを考えるようになりました。

保護所の職員も大きな葛藤を抱えていて疲弊している現状や、保護所によって対応の在り方は様々であることも分かり、構造的な課題も見えてきました。保護所にいる子どもに一番近い人は保護所の職員。その職員たち、入所経験のある若者、児童相談所関係者が集まってそれぞれの保護所の様子を共有し、共に学び、刺激を受け合い、日々の関わりを振り返り、アイディアを出し合えたら、きっと直接子どもたちとの関わりにもプラスの影響が起きるのではないかと考えました。こうして企画されたのが「スタッフ交流会」というイベントです。

コロナ禍でもオンラインで今は開催しており、全国各地の保護所の関係者が参加しています。狙い通り、本当に切実な現場の声が溢れる場になっており、「自分のところのやり方が当たり前だと思っていたけど、こんな工夫もできるんだ」という前向きなエネルギーが生まれる場にもなっていると感じています。他にも、児童福祉関係者だけでなく一般の人にも関心をもって

知ってもらうためにオープンなイベントを開いたり、集まっ現場の声を自治体や厚生労働省などに伝えたりする活動もしています。

エネルギーについて

「青年の夕べ」で、常に外に矢印が向いているように感じるが、そのエネルギーはどこから湧くのかと質問をいただきました。私は出会いの中でパッションが湧き上がるのを感じてきました。

それは、相手に矢印が向いているだけでなく、自分に対しても「自分はどこに立つのか」「今まで何をしてきたのか」「知った自分はどうするのか」という問いが生まれるからこそ、揺さぶられます。きっと他者との出会いがある時、私は相手に対しても、背景にある社会に対しても、そこに生きる自分に対しても、そしてその出会いを与え繋いでくださった神様に対しても心が向き、ざわつき、熱くなり、突き動かされ、それをパッションと感じるのかもしれません。

社会に対して何ができるかと考えて動いていくエネルギーは、行動に移すことで社会が変えられると思う成功体験が積み重なって生まれているように思います。私の周りには「これはおかしい」と思った時、声をあげる人が多くいました。変えられない嘆き、落胆、憤りが沢山ありながらも、それでも少しずつ

変わっていく希望を持ち続け取り組む姿を身近に見てきたかこそ、変えていこうとすることへの抵抗はありません。そして、出会いにいくことへのエネルギーになっている大きな理由がイエスの生き方です。イエスは福音宣教の旅をする中で、色々な人に出会っていきます。私は、出会っていくイエス様が好きです。出会って、名前を呼んで、近寄って、手を触れるイエスがとても好きで、「ありがとう」と思っています。だから私はこれからも、出掛けていって、他者と出会い、名前を呼び合って、共に食卓を囲む、そんな風でありたいと祈っています。(2021年6月20日)         

(恵泉バプテスト教会)