【感話】「弱さが弱さであることを願いながら」 K.M.
今日、この場で話さないかと飯島牧師から誘われたとき、私は喜んでお引き受けしたいと思いました。ちょうど、私がこの大学に入ってから一年と少しが経ちました。
私は、島根の山の中腹に位置する、全寮制ではあるものの普通科の、キリスト教愛真高校という普通の高校に通っていました。そこでは、毎日夕方に、全校生徒、教職員が集い、一人の生徒の話に耳を傾ける「夕会」というものが開かれていました。生徒は当番制で夕会を担当し、二月に一回ほどのペースで話す機会がやってきました。
みんなの夕会を聞くのはとても好きでした。誰一人として同じことは話さず、だれもが、講壇の上、静かさの中に佇たたずみ、讃美歌を歌い聖書を読むという共通した流れの中で、何かを語るのです。話すのがうまいとか下手とか、そんなのは本当に関係なくて、ただ、その人が感じた真実を正直に語るという瞬間を目撃する度に毎回圧倒される思いで聞いていました。
なのに、三年間経て、その間におよそ二十回も語る機会があったのに、とうとう私はこの夕会で思うように語れたことがありませんでした。ある時は心の景色をどうにか描写し、あるときは詩をつくりギターを手にして歌いました。そんな風にしてなんとか乗り切っても、当番が回ってくるたび、決まって夕会のギリギリまで苦しみながらノートに言葉を綴っていました。その頃から感じ始めたことは、私は自分の感じたことを具体化、一般化して話すのが得意ではないということでした。そして、大学へ行こうと思った理由の一つは、高校時代に感じたことも含めた、私が感動したものたちを言葉にしたかったということがあります。それだけ、山奥の学校で私の感受性はぱかんと開かれ、表現したいと思えることをたんまり頂いたと思っています。
さて、私はこの一年間、大学で何をしてきたのでしょう。まず、目覚ましい人との出会いがいくつもあったことは胸を張って言えます。この世には、人間関係において関係が浅いとか深いとかいう言葉がありますが、一年生の時に築いた関係はどちらかと言うとそんなに深い関係ではないのかもしれないけど、浅い深いという分け方がそもそも浅はか極まりないし、ただ出会えたことに心から感謝をすると同時に、それらの人々にはたくさん助けられました。
ただ、そんな大学生活のなかぼんやりと、でも確かに欠落していたものが、夕会のような場でした。自分が語ることに期待はできなかったとはいえ、あんなに苦しんで、悔しくて、でもちょっと愛おしくなる瞬間がないことは、やはり少しさみしかったです。それで、今回のオファーをいただきました。しめしめ、神はちゃんと分かっているなあと、自分の言葉を聞き届けられる場所で語ることに感謝しました。
でも、いざペンを手に取ると、話すべきことが浮かんできません。そして、四月だから、出会いと忙しさの中、心はどんどん押し付けられ、感話について考え始めなければならない頃、私はつぶれそうになってしまいました。そうすると、気持ちが良いほどに何もやる気が起きない。外へ出て歩こうとすると、動力が不足していて、足がもつれ、完全停止しそうな日々が続きました。誰かが助けてくれようとしても、本当は助けが必要な自分を否定するように、笑顔ですませ、またそんな自分に失望し、いやはや私は大学に入っても、無力感や孤独という同じ問題に悩んでいるのかと、自分にあたることもありました。
そんな五月頭、普段は寮に住んでいるのですが、実家に帰る機会があり、母の言葉で少し心が楽になったことがありました。母は、低空飛行でいいから、予定を全部キャンセルしてもいい、と言いました。完全に停止してしまうと、またエンジンをかけてもう一度動き出すのに力がいる、と付け加えました。言われるがままに、キャンセルできそうな予定をキャンセルし、すこし楽になりました。
でも、また何日か経ったら、同様の緊張感が体を支配して、また止まりそうになってしまいました。しかし、母に言葉をかけられて一度休息を得たことで、今度はすこし冷静に自分を見つめることができました。
前置きがだいぶ長くなりましたが、今日はその時のことについて少し考えてみようと思います。先ほども言った通り、私は、母から声を掛けられるまで、自分の声を無視して無理を続けようとしていました。しかし、私は、のしかかるタスクに抵抗して疲弊していたのではなく、むしろ、自らタスクを背負いこんで、ある力に抵抗しようとしていたのだと気づきました。
私がそのとき戦っていたもの、それは、私のいのちでした。押しつぶされそうになった時、押しつぶされてはいけないと、私はどうにか力をふり絞って乗り切ろうとしました。ただ、本末転倒なことに、力を振り絞るせいで身心へますます無理を強いていました。この時、私が無視をしていたものは、いのちの運動であり、いのちへ抵抗していたことで自分自身がつぶれかけていたのだと思います。いのちとは何を意味しているか、語ることの限界を承知しつつ、もう少し丁寧に掘り下げられればと思います。
心の声を聞けないことや、なりたい私になれないこと。あの人になれないものかと思ってしまうこと。そうやって私が自分自身の内から消し去ろうとしてきたのは、自分自身であり、自分自身の弱さでした。
例えば、小学生の私は、正月が来るたびに課される書初めの宿題を、なんどもなんども納得がいくまで書き直して、もう切り上げたら、と促されるまで止めませんでした。中学で、合唱の指揮者などの人々をまとめるポジションに就いたときも、それをやりきりたくて「がんばって」いました。高校も、そして大学になっても……。そんな風にして、(ずっと、とは言えませんが)完璧をもとめて、なんどもつぶれかけていたのにもかかわらず、今までそこから気づきを得なかったのは、毎度毎度、人の力を借りたり自分の力を使ったりして乗り越えられちゃっていたからなのかもしれません。青年の夕べの過去の感話のなかで、姉妹校を卒業された髙橋紀渚さんという方は、いのちの性質を「与えられているということ」と「弱さ」と表現しています。私がこれまで苦しんできたことは、それらのいのちの性質への抵抗であり、これまでの人生をかけて学んできたことは、いのちとの向き合いかただった。そういうふうに言うことができるのかもしれません。
いのちは、弱いこと。いのちは弱いので、私を低くしようとします。いのち本来の姿である弱さに引き戻そうとします。でも、弱くされるなんて、たまらないことでしょう。だってできるだけ、成長したい。チャンスをものにしたい。たくさんのものと出会いたい。だから私は抵抗する。でも同時に、いのちは私を私であらせようとします。いのちは、与えられているということ。与えられた姿に、引き戻そうとして、生かそうとします。なのに私は抵抗する。
今まで、特に高校時代は、様々な社会問題について考えるきっかけがたくさんあり、その中で、「弱さ」の側に立つことの重要性を特に痛感してきました。環境問題も貧困問題も、ジェンダー、福祉、文化どれも、問題を被るのは何らかの形で弱くされているひとだということを、福音書の物語も読みながら確信を持っていきました。しかし、そんな風に社会に目を向けていくうえで、自分の弱さをおろそかにして生きていくことは、無理のあることだったのかもしれません。
そして、もう一つ、いのちの性質について吟味するとしたら、いのちは皆に与えられているということも気にかけてみたいと思います。いのちを与えられているからこそ存在しているということは根底にありますが、人間、ないしはこの世界に普遍的な、存在をもたらす原理であるいのちを守ることは、きっと、私自身のみならず、世界において、他者において、それらを本当に大切にするための生に導いてくれるのではないかと思います。日本近現代史が専門の加藤陽子さんという歴史学者は、戦時中に日本が日清戦争そして日露戦争と「勝ち戦」をつづけた成功体験が、その後、国際的な協調路線を外れて国家総動員での戦争をする判断へ導いたことを指摘しています。第二次世界大戦についての歴史記述も、勝った国、例えば、アメリカやイギリスでの戦争の語られ方は、日本と違うことはもちろん、反省の色は薄いと聞いたことがあります。そりゃあ、「勝った」のですから、反省する必要はなくて、自分たちは強かった、それで良かったと言えるかもしれません。しかし、勝利強さを誇ることでかき消されるものは、彼らも誰かのいのちを奪ったこと、そして、失われたものたちの記憶です。だから、私は、戦争に反対するものでありたいです。
本日、わざわざ集まってもらった皆さんに、非常に個人的な話を聞いて頂くことは恐縮であると同時に嬉しいことでもありました。今日の話のタイトルは、弱さがよわさであることを願いながら、です。フォークシンガーの西岡恭蔵がつくった、Glory Hallelujah の歌詞の一節、「私が私であることを願いながら」「あなたがあなたであることを願いながら」という詩からインスピレーションを得ました。弱さ、というのは、どうしようもない性質です。でも、その性質を、まさに自分として生きる、そういう者に私はなりたいです。なおかつ、あなたがあなたであることを願いながら、弱さがよわさであることを願いながら、そういう風に、私は生きたいです。
この感話を書くうえで、自分の言っていることがどうしても受け入れられない瞬間も多々ありました。自分だってガサツなところがかなりあるし、自分がこうありたいと思うことと、実際にあること、あろうと努力することには距離があります。でも、これは、一つの決意表明的な祈りとさせてください。高校三年生の時にノートに、こんな文章を書いていました。今私を生かすもの、思い浮かばなくても今までの私を生かしてきたもの思い出せますように。
祈りは、私に向かったものでも、あなたに向かったものでもありつつ、本質的には、もっと大きな存在への委ねだと信じ、最後に一言お祈りさせていただければと思います。
(ICU2年生)