説教

閉会礼拝 :この国を愛し、この国に生きる民を愛すること — 韓日との関わりにおいて 飯島 信

エレミヤの学びを通して、私自身何を問われたか、そのことをお話ししたいと思います。私は、改めて、エレミヤの祖国イスラエルを思う想い、そして同胞である民への想いについて考えさせられました。日本で生まれ育ち、日本の国籍を持つ私が、どれだけこの国の行く末に思いを馳せ、また同じ日本人である同胞を思う気持ちがあるのかを自問せずにはいられませんでした。同時に、偏狭なナショナリズムに堕することなく、国境を踏み越えた真にグローバルな視点を獲得するためにも、自らが拠って立つ足元、すなわち、生まれ育った自然、言葉としての日本語、食文化、人との関わり、それらを総合して長い間にわたって私の中に培われた日本人としての感性や価値観などを今一度見つめ直したいと思いました。

主よ、わたしは知っています。
人はその道を定めえず
歩みながら、足取りを確かめることもできません。
主よ、わたしを懲らしめてください
しかし、正しい裁きによって。
怒りによらず
わたしが無に帰することのないように。

(エレミヤ書10:23〜24)

私にとってこの国とは何か、ここに生きる人々が、私の人生にどのような意味を持っているのかを改めて考えるのです。エレミヤが祖国イスラエルを愛したように、私もこの日本を愛せるか、民を愛したように、私もここに生きる人々を愛せるかということです。

究極の愛があるとすれば、それは、愛する対象と生死を共にすることです。しかも、強いられた愛によってではなく、心の裡から溢れ出る愛によってです。そのような愛を、今のこの国に持てるだろうか、そのような愛を、人間の尊厳や幼い子どもたちの命を踏みにじる出来事が次々と知らされて来るこの国の人々に、私もその一人であることを覚えつつも、抱くことが出来るだろうかと思うのです。

エレミヤを想います。彼はなぜ、それほどまでに祖国イスラエルを愛することが出来たのだろうかと。神への背信を重ね、自らも裏切られ、さらには自分に敵対して来る民を、それでも愛することが出来たのだろうかと。

私は、今は、到底エレミヤのように生きる自信はありません。しかし、それでもなお、何か出来ることがあるはずだと思うのです。エレミヤのように生きることは出来なくとも、この国に対し、ここに生きる人々に対し、何か出来ることは必ずあると思うのです。何故なら、神様は、そのために、この地に生きる者として私に命をお与えになったのですから。私の命の営みには、神様がこの地で成そうとしているその御業に与る道が必ず備えられていると思うのです。

一体、その道がどのような道であるのかを考えます。人生を生きる意味があるとすれば、私は、神様が自分に備えられている道を見出すこと、それに尽きるように思います。創られた者は、創り主との出会いの中で己が何者なのかを知らされ、神から与えられた時を生きる者とされるからです。

神から与えられた時を生きる。それは、神様が世に成そうとしている業に与あずかる時だと思います。その業わざとは、自分が欲する事柄ではなく、神様が世に実現されようとしている出来事です。では、神様が世に実現されようとしている出来事を見出すにはどのようにしたらよいのでしょうか? 何か、特別な導きがあり、それによって知るのでしょうか? 私は、そうではないと思います。朝起きてから夜眠るまで、私たちの周りに生起する日常の一つひとつの事柄の中に、神様が成そうとしている出来事があります。私たちに与えられている時間は、神様から与えられている時間です。本来神様の時間であるその時を、私たちは自分の欲するままに生きる時間としている、そのように思うのです。時間は、常に神様と私との鬩せめぎあいの中に置かれています。時を、神様の御心に適う道を歩む時間とするか、己の欲しいままに生きる時間とするかの戦いです。

今回、私たちの交わりに参加してくださった裵貞烈(ベーチョンヨル)さんと私たちとの関わりにおいて、この問題を考えてみます。3月に韓国・大田の地で入会式を行った裵 貞 烈さんは、観光のために日本に来られたのではありません。基督教共助会の夏期信仰修養会に出席するために来られました。改めて言うまでもなく、裵さんは韓国の方です。この日本の地に裵さんをお迎えする、しかも共助会の集まりにお迎えすることには、深い意味があります。共助会は、歴史の中で、韓国の友たちとの深い出会いを経験しています。お手元の資料にある韓国の友、お一人おひとりとの出会いがその一つです。しかし、私は、そのような出会いの中にあって、最も象徴的な出来事は、同じく資料にある田同禮(チョンドンネ) ハルモニと沢崎良子さんとの出会いであると思うのです。

1992年3月、韓国ソウルにあるイエス教長老会の女伝道会館(ヨジョンドフェガン)で第1回韓日共助会修練会が行われた時のことでした。修練会の3日目、私たちはソウルの南にある水原(スーウォン)という町を訪れました。そこに建てられている堤岩(チェアム)教会を訪れるためです。堤岩里(チェアムリ)事件をご存知でしょうか? 1919年、日本統治下の韓国で起きた事件です。3・1独立運動の中で、堤岩の村の教会に集められた21名の村人男子が、運動に参加した嫌疑をかけられ、日本軍によって焼き殺され、心配して駆けつけた2名の女子も犠牲となった事件です。ハルモニは、写真にあるように、その時に夫を殺されました。それからというもの、事件が起きた時間の午後2時になると、ハルモニは毎日教会で祈りを捧げました。事件から73年を経た私たちが訪れた日も祈りを捧げられていました。訪れた私たちの中から、ハルモニと共に祈りをささげたのが沢崎良子さんでした。沢崎さんの夫である沢崎堅造は、戦時下に中国の熱河宣教に赴き、敗戦の混乱の最中、ソ連軍によって殉教の死を遂げています。手を取り合って祈るお二人の祈りがどのようなものであったか私は知る由もありません。しかし、加害と共に、悲しみの想いをも合わせ持つ沢崎夫人であればこそ、ハルモニの手を取ることが出来、ハルモニも又彼女の手を取り、祈り得たのだと思います。お二人の心には、キリストの十字架が打ち立てられていた、私は今にしてそのように思うのです。

私たちが裵貞烈さんの共助会への入会を心から神様に感謝するのは、1992年に創立された韓国共助会の新たな担い手としての働きだけではなく、神様に用意された韓日の時を生きる、即ち御心に適う出会いの道を共に祈りつつ見出すことが許されると信じるからです。和田 正、李仁 夏、沢 正彦らの先達によって見出され、歩むことを許された道を、私たちは今この時、こうして、再び歩み始めています。

閉会礼拝の冒頭にお読みしたエレミヤの言葉は、先日行われた『共助』誌の編集委員会の始めの祈りに先立って、編集長の石川光顕さんが選ばれた御言葉でした。己の欲望に従う時ではなく、神に定められた時を生きる。己の願いが先立つ時ではなく、神によって導かれた時を生きる。しかし、私たちは、今歩んでいるその時が、己の時か、神の時かを知ることは出来ません。私たちの誰もが、「その道を定めえず歩みながら、足取りを確かめることもでき」ないからです。にもかかわらず、私たちは、前に進むことが許されています。神の懲らしめを畏れ、正しい裁きによって無に帰することが無いようにとの祈りが与えられる限りにおいて、今日一日の歩みに、ボンヘッファーが祈った「憐れみ深い裁き」を祈ることが出来る限りにおいて、大胆に前に進むことは許されるのです。

裵 貞 烈さんが、共助会員として私たちと共に過ごしたこの3日間、私はここに神の時を生きる私たちを見出します。「懲らしめを畏れ、正しい裁きによって無に帰することが無いように」との祈りを心に覚えながらです。エレミヤがイスラエルを愛したように、私たちもこの国を愛せるでしょうか。この国を愛するとは、愛するに相応しい国とすることです。神様の御心に適う道をこの国が見出し、その道を歩み進むために己の力を用いること、それが愛することだと思います。エレミヤのイスラエルへの愛は、イスラエルの民が神様の呼びかけに応え、聴き従うために、己の命を注ぎ尽くすことでした。私のこの国に対する愛は、この国が、在日の人々との間で、韓国の人々との間で、神様によって備えられた道を見出し、神の時を分かち合い、御心に適う関わりを創り出す、そのために労することだと思うのです。祈りましょう。 (日本基督教団 小高伝道所・浪江伝道所牧師)

  • 基督教共助会編『歴史に生きるキリスト者―真の友情から問いかける日韓関係』1993、236~241頁には、「韓国の友垣」として以下の人々が紹介されている。洪彰義(ホンチャンイ) 、裵興稷(ベフンジク)、金允植(キムユンシク)、郭商洙(カクサンス) 、李台現(イテヒョン)、尹鍾倬(ユンジョンタク)、朴錫圭(パクソクキュウ)、李英環(イヨンファン)。
  • (注2)『前掲書』扉写真参照。
  • (注3)小笠原亮一・姜信範 他著『三・一独立運動と堤岩里事件』(日本基督教団出版局、1989)所収の「序にかえて―堤岩里の苦難と祈り」(小笠原亮一)、及び扉写真①~⑪参照。
  • (注4)和田 正「ただキリストの十字架によって」・尹 鍾 倬「日本人印象記」(キリスト教共助会編『沈黙の静けさの中で』所収)参照。
  • (注5)「韓国基督教共助会設立のお知らせ」(『歴史に生きるキリスト者』 234~235頁参照)。