母を偲ぶ 尾崎 亜紀
母尾崎マリ子が心に留め大事にしていた事、直接に聞いた事はありませんが、聖書に問う「神の家族」について多くの文章を残しています。「家族との関わり」、「今家族の意味を問う」、「新しい家族の絆を求めて」、「神の家族として教会」、「主に招かれる家族」、「神の家族である事の慰め」と題して様々な視点から解き明かしており感慨深いものがあります。
私たち4人は全く違ったルーツを持った者が一つの家族を作ろうとなった事は、国籍や環境が違い、言葉も充分に理解できない中において母にとっては大冒険だった様です。物の考え方、座り方、食べ方、お風呂の入り方など習慣の一つでも教えると激しく拒否されたりと成長するにつれ親子の間に生じる問題はそれなりにありました。親が抱える苦悩や葛藤は一般の家庭と何ら変わらなかったと思います。茶道、華道を嗜み、新しい事に挑む前向きな姿勢、明るく親しみ易い、物事をユーモアを交えて行い楽しむのが上手な性格でしたが、さすがに限界を感じたらしく、子ども達の成長をサポートする叔母さんになろう! と決意、神さまに全てを委ねてありのままに生きるしかなかったと自信の弱さを認め告白しています。
「神の御心を行う人こそ私の家族なのだ」血の関係の甘えより神を媒介としての信頼関係なくしての真の家族は生まれない事を指し示されます。そして「神の御心を行う人」とは行いの立派な欠けのない信仰者の意味ではなく、自分の弱さに破れ神の力にすがるしかない人だと、神に服從し血縁を超える視点で新しい家族を作り与えられた事、自分の小さな経験を通して深い感謝の思いを述べていました。家族が肉の繋がりを越えたものだと示された事はどんなにか勇気づけられ心に響き支えになったか知れません。目の前の一人ひとりを尊い存在として愛しとことん寄り添い一緒に生きていく、私たちのみならず誰に対しても平等に両親共にそうであったと思い起こしています。同時に多くの尊敬する信仰の友、先輩方、畏友に恵まれ実り多き豊かに生きた人生であったと強く思わされます。私たちもまた神さまから大きな賜物を頂き豊かな時間が与えられた事に心より感謝しております。
晩年、病の理由で別住居の父と会える機会が減る中でその寂しさを手紙や絵葉書に想いを幾度と綴っていました。昨日会ったばかりなのに忘れてしまう、「家でなくなぜ施設なのか」説明では理解する力は徐々に衰え納得してくれる回答などなく、唯一、教会の話しは心が落ち着き穏やかになる母の姿がありました。神さまの働きの奉仕に今ここに自分が存在する意義を懸命に見い出していたのだと思います。私にとっても忘れられない瞬間でとても慰められ救われたのを覚えています。
国籍、入国の問題、法務局の許可等、1968年頃はヴェトナム戦争の最中、どれ程の難題や困難さを期したか大人になってからは容易に想像できます。戸籍の入籍にとどまらず「神の家族」の一員に招かれ加えられた、両親の揺るぎない信仰の情熱と歩みに敬意を払い、計り知れない深い感謝を持つと共に、神さまの御恵と憐れみを深く心に刻みたいと思います。そして最後まで主に仕え福音を宣べ伝えた足跡は、残された私たちの歩む道をこれからも見守っていてくれるでしょう。
(日本基督教団 久我山教会)