品位とは 久米あつみ
アメリカ大統領が決まった。今は深い虚脱感の中にいる。三回にわたる両候補のテレビ討論を見たがおよそ大統領候補の演説会とは言えぬ、ひどい言葉の応酬だった。特に第三回のそれは、アメリカという巨大な国を背負って立つ政治家としての
続きを読むアメリカ大統領が決まった。今は深い虚脱感の中にいる。三回にわたる両候補のテレビ討論を見たがおよそ大統領候補の演説会とは言えぬ、ひどい言葉の応酬だった。特に第三回のそれは、アメリカという巨大な国を背負って立つ政治家としての
続きを読む先の参議院選挙では政権与党が圧勝した。野党共闘は改憲発議に待ったをかけるぎりぎりの議員数すら確保できず、政治の流れは安倍政権の思惑通りに進んでいくかに見える。やりきれなさと危機感が募る。昨年の安保法案強行採決の白紙撤回を
続きを読む今年の憲法記念日は、全国各地で護憲、改憲、加権等の催しがもたれた。特に2015年9月19日に安全保障法制関連法が国会参議院で強行採決され、今年の3月末に施行になったことから、憲法改正をめぐる国民の関心は高まって、各地の憲
続きを読む政治の季節である。今日の日本において生きている限りこの政治の波の中にいかに良心的信仰をもって生きるかは、避けることができない。 しかし他方、今日の地方教会の事情はどうであろうか。大都市とその周辺の教会の事情は詳らかではな
続きを読む「もしわたしの名をもって呼ばれているわたしの民が、ひざまずいて祈り、わたしの顔を求め、悪の道を捨てて立ち帰るなら、わたしは天から耳を傾け、罪を赦し、彼らの大地をいやす。」(歴代誌下7・14、新共同訳) 聖書の神は国として
続きを読む「しかし、このわたしには、わたしたちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものが決してあってはなりません。この十字架によって、世はわたしに対し、わたしは世に対してはりつけにされているのです。割礼の有無は問題ではなく、
続きを読む2015年に敗戦70年の日を私たちは迎えたが、この年ほど再び戦争の道へ逆行する国へと舵を切ったのではと憂慮している年はない。敗戦50年の1995年の国会における「歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議」は、いわゆる村山
続きを読む「死者は記憶されることで生きる」(「新版 きけわだつみのこえ―日本戦没学生の手記」岩波文庫から) 戦後70年の夏が過ぎ去った。私は共助会夏期信仰修養会に参加した後、8月中旬に長年の念願であった、長野県安曇野池田町の『上原
続きを読む私は、1945年6月生まれ、戦後民主教育の中で育てられたといえる。父は熱心な仏教徒の家に生まれ、毎朝祖母 から教えられて念仏を唱えるのが日課であったという。 しかし青年期、内村鑑三の本に心を砕かれ、1923年の関東大震災
続きを読む今年3月23日(月)から25日(水)まで韓国の済州島で第6回韓日基督教共助会修錬会が持たれた。主題は「主 に在る友情の新たな扉を開く―ただキリストの十字架を仰いで―」であった。5年に1回から3年に1回へ韓日基督教共助会修
続きを読む一月二十四日土曜日、四時半起床。 こんなに早く起きたのは何年ぶりだろう、緊張しているせいかあまり眠くない。第二回青森共助会に初めて出席するため六時三十二分東京発、新青森行き新幹線「はやて一号」に乗車する。 九時五十分
続きを読む昨年の十月二十三日、小雨降る中を、松本共助会のメンバーと共に山梨県北杜市に浅川・兄弟資料館を訪れた。兄・伯教は、山梨県師範学校を卒業し、しばらく小学校の訓導として働き、朝鮮に渡ったのが一九一三年のことだった。朝鮮でも訓導
続きを読む混じりけがなく、ひたすらであることを「純一」という。澄みきった素直な心で、対峙すべき対象に恐れなく正対し、時に、大胆に身を委ねていく在り方。幼子や青年が本来的に保持する特性。だが今、この国の子どもや青年達の多くは、この純
続きを読む「あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。」(コリントの信徒への手紙1 第6章19節b─20節a) 北白川教会の任を退かれて横浜・戸塚に居を移された奥田成孝先生をお訪
続きを読む(一)新たな勤務地で一年前より出席している教会は、八月第一主日を伝道開始記念の主日として、設立時に属した旧日本基督教会(旧日基)の信仰告白(一八九〇年制定)を告白します。日本基督教団においての旧教派の信仰告白の捉え方には
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