聖書の所在 ―宗教改革五百周年の年に 七條 真明
十月の下旬、ある大型書店を訪れて、驚いた。店内の目立つ場所に一つのコーナーが出来ており、宗教改革に関する 二十以上もの本が並べられていたのである。本が置かれた台に貼られた紙には、「宗教改革五百周年」と記され、ルター の顔
続きを読む十月の下旬、ある大型書店を訪れて、驚いた。店内の目立つ場所に一つのコーナーが出来ており、宗教改革に関する 二十以上もの本が並べられていたのである。本が置かれた台に貼られた紙には、「宗教改革五百周年」と記され、ルター の顔
続きを読むもう30年以上も前になる。1985年、大磯での夏の修養会。「共助会の愛は兄弟姉妹への愛ではあっても、隣人(社会的弱者)への愛ではないのではないか。」主題講演に立った飯沼二郎先生はこう述べて、共助会の持つ自己完結的傾向性を
続きを読む1944年(昭和19年)の3月、小学校の第四学年を修了したところで、私の学校生活は終わった。大都市では学童の集団疎開が始まり、障害児の私はついて行けないので休学扱いとなったのである。偶々父も健康が優れず会社から退くことに
続きを読む今年3月安倍内閣は、国会に「組織的な犯罪の処罰および犯罪収益の規制等に関する法律などの一部を改正する法律案」を提出しました。この法案は、過去三度国会に提出、いずれも廃案となった「共謀罪法案」と同じ内容でした。この法律案の
続きを読む私は、最近改めてトルストイに注目している。彼の作品など学生時代以来久しく読んだことがなかった。しかし、ト ルストイに学びその精神に生きた北御門二郎に関する書物を通して目を開かされる思いを強く持った。それは、憲法施行70年
続きを読む今年一月の一日研修会で「ハンセン病問題を考える―特に宗教者の関わりを振り返りつつ」という重いテーマを与 えられました。講演して下さった浜崎眞実神父(カトリック司祭)は日本のハンセン病の歴史を辿りながら、その中で宗 教者
続きを読む「『闇から光が輝き出よ』と命じられた神は、わたしたちの心の内に輝いて、イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光 を悟る光を与えてくださいました。」(Ⅱコリント四・六、新共同訳) ここでパウロは神の創造の御言葉へと目を向けます
続きを読む〝小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。〟 (ルカによる福音書12章32節) 創立98年を迎え、間もなく100年になろうとしている基督教共助会の歴史は、単に時間の経過を意味する歴史ではない。世
続きを読むアメリカ大統領が決まった。今は深い虚脱感の中にいる。三回にわたる両候補のテレビ討論を見たがおよそ大統領候補の演説会とは言えぬ、ひどい言葉の応酬だった。特に第三回のそれは、アメリカという巨大な国を背負って立つ政治家としての
続きを読む先の参議院選挙では政権与党が圧勝した。野党共闘は改憲発議に待ったをかけるぎりぎりの議員数すら確保できず、政治の流れは安倍政権の思惑通りに進んでいくかに見える。やりきれなさと危機感が募る。昨年の安保法案強行採決の白紙撤回を
続きを読む今年の憲法記念日は、全国各地で護憲、改憲、加権等の催しがもたれた。特に2015年9月19日に安全保障法制関連法が国会参議院で強行採決され、今年の3月末に施行になったことから、憲法改正をめぐる国民の関心は高まって、各地の憲
続きを読む政治の季節である。今日の日本において生きている限りこの政治の波の中にいかに良心的信仰をもって生きるかは、避けることができない。 しかし他方、今日の地方教会の事情はどうであろうか。大都市とその周辺の教会の事情は詳らかではな
続きを読む「もしわたしの名をもって呼ばれているわたしの民が、ひざまずいて祈り、わたしの顔を求め、悪の道を捨てて立ち帰るなら、わたしは天から耳を傾け、罪を赦し、彼らの大地をいやす。」(歴代誌下7・14、新共同訳) 聖書の神は国として
続きを読む「しかし、このわたしには、わたしたちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものが決してあってはなりません。この十字架によって、世はわたしに対し、わたしは世に対してはりつけにされているのです。割礼の有無は問題ではなく、
続きを読む2015年に敗戦70年の日を私たちは迎えたが、この年ほど再び戦争の道へ逆行する国へと舵を切ったのではと憂慮している年はない。敗戦50年の1995年の国会における「歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議」は、いわゆる村山
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