感想

呼びかけに耳を澄まして    S・R

 2015年、戦争を経験した祖父から届いた手紙には「枕もとに軍靴の音が聞こえる」と書いてあった。その年、多くの憲法学者が違憲と判断した安全保障関連法案は、全国から抗議の声があがるなかで強行採決された。当時、わたしはまだ選挙権をもたない10代で、「こんな世界に誰がしたんだ」と怒りながらデモに通っていたことを思い出す。10年間、この国は軍備増強を止められず、ふたたび戦争ができる国になるために躍起になっている。原発事故により故郷を追われた人たちの痛みを無視して原発は再稼働され、沖縄では米軍基地の過剰な押し付けというかたちでの日本による植民地支配が継続している。さまざまな場で声なき者とされた人たちから発せられる「こんな世界に誰がしたんだ」という怒りの叫びが、いまは主権者としてこの国で生きるわたしに向かって投げられている。ある新聞記事には「わたしたちの苦しみは、防ぐことのできる苦しみであるからこそ耐え難い」というガザで生き延びる人の言葉が載っていた。パレスチナ人がナクバから77年ものあいだ故郷に帰れずに虐殺されつづけていることを思うとき、80年間、この世界は、だれを見捨てながら歩んできたのかを問わずにいられない。修養会では他者との共生が話題になったが、「共生」とは小さな声を聞き、寄り添うといった態度だけでなく、もっとも弱い場に置かれた人たちの恐怖や困窮を取り除くために自分にできる働きをしていくことでなければならないと思う。この世の現実は冷たく、闇は深い。考えることを放棄して「自分さえよければいい」という思いに浸りたくなることもある。そんなとき、修養会で山本先生が話していた「他者からの厳しい言葉は、呼びかけであり問いかけなのだということを忘れないでいる」という言葉が大きな励ましとして思い出される。2023年のクリスマスにパレスチナ人のムンター・アイザック牧師が語った「今日、イエスはガザの瓦礫の下にいる」という信仰に支えられながら、歴史のなかでこの国に生を受けたひとりとして、そして祖父母から生身の戦争の話を聞いて育った最後の世代として、いまより少しでも公正な世界を築いていくという責任を引き受けたい。

(救護施設職員 日本基督教団 北白川教会員)