追悼

岡田長保・照子ご夫妻のこと―照子さんを天に送って 林貞子

【追悼 岡田照子氏】

長い間、病に伏しておられました岡田照子さんが、9月30日に天の故郷へ帰られました。

だんだんと弱ってこられて、苦しまれることなく本当に木の葉が散るようにして、天寿を全うしましたとご家族は申され、ほっといたしました。86年のご生涯でした。

長保さんは施設から、介護車でほんのひと時帰宅を許されて、ご遺体と対面なさったということです。お分かりになったご様子で、「ありがとう」と冷たくなられた胸に手を当てられて、お言葉をかけられたということです。長保さんにとっても一年半ぶりのご自宅だったことになります。

さかのぼること六十年になりますが、岡田長保・照子さん、川田殖・綾子さんそれに林律・貞子はほぼ同じ頃に北白川教会に出席するようになり、同じころに家庭を持ちました。

奥田成孝牧師先生のご提案で、三つの家庭もち回りで家庭集会をしてくださいました。ゆっくりと話し合い、最後にはみんなが祈って解散しました。奥田先生を中心に、私たちは祈り合う間として親交を深めて行きました。

やがて、それぞれの馳せ場へと離れましたけれども、この関係は今に到っています。

殊に女性軍三人は、子供ができた時にはおむつを縫い合ったり、家庭のこと、子育てのこと、日頃思っていることなどを語り合う友情を深めて行きました。

子育てが一段落をした頃からは、信州・有馬・京都などの宿に泊まって語り合いました。長保さんがお揃いの軽いボストンバッグを買ってくださり、それをもって楽しい旅を重ねました。照子さんの健康がすぐれず、遠出が出来なくなってからは、お見舞いと称して、照子さんの近くに宿をとり、綾子さんは信州の佐久から、私は京都から参集して、時間を忘れて語り合ったことでした。

岡田さんご夫妻は、1967年に、長保さんは内科 照子さんは小児科の医師として、長保さんの郷里、淡路島の岩屋に岡田医院を開業なさいました。ご夫妻による共著『郷里のかかりつけ医を志して』の題名通り、地域のかかりつけ医に徹して力を合わせて多忙の日々を過ごされました。照子さんは、開業から30年ほど経った63 歳の頃に、乳がんが発覚して手術、一年後に再発、74歳で腎透析を受けることとなられました。

また照子さんは、神戸教会付属幼稚園に園医としても、関わっていらっしゃいました。

私は、神戸教会の礼拝に出席させていただいたことがありました。礼拝後は、照子さんとお話がしたい方たちが列をなして、照子さんのお身体が心配なほどでした。こんなにも慕われ、頼りにされていらっしゃることが分かりました。腎透析を受けられるようになってから、二度、転倒による大腿骨折をなさって、ご不自由になってゆかれました。

2017年、約50年にわたってお二人でなさってこられた〝郷里のかかりつけ医〟としての使命にピリオドを打たれました。最終来院患者さんのカルテ番号は32、657だったそうで、それだけの方が、お二人に出会われ診察を受けられたということになります。

岡田医院は、ご長男のお連れ合いの有美さん(内科医)にバトンを渡されました。

その頃から弱ってゆかれる照子さんを長保さんは、自宅で看取っておられました。お手伝いの方があったにせよほぼ寝たっきりになられた照子さんの一番身近なお世話は、長保さんがなさっていたようでした。

私は時折、神戸のお宅へお邪魔していたのですが、一昨年の秋、いつものように六甲駅まで送ってくださる車の中で、長保さんは、老々介護の限界を感じるようになられていること、何とか照子を見送るまでは自分が倒れないようにと祈っているんですと話されていました。その時すでに90 歳になっていらっしゃる長保さんの中で、脳腫瘍が大きくなっていることをご本人だけは感じ始めておられたのではないかと思います。半年後の2019年4月、神戸大学病院で大手術を受けられることになりました。

照子さんは透析病院である住吉川病院へ入院されました。

長保さん手術の前日には、川田夫妻も来られ、四人で長保さんご入院の病院と照子さんご入院の病院へ伺いました。川田さんが力強く祈ってくださいました。以来一年半、お二人で神戸の家に戻られることはなかったことになります。

有美さんは岩屋での診療を終えてから神戸で別々の病院に入院されているご両親を見舞い、受験生を抱えた家事もこなされていたので、どんなに大変であったかと思います。ご次男夫妻やお孫さんもよく見舞いに来ておられたようでした。

また、淡路から三人の方がローテーションを組んで、照子さんの昼食時間に介助をなさり、そのあと長保さんの病院へ行き身の回りのお世話をなさっていました。三人の方は異口同音に、「若い時から長い間、岡田医院で働かせていただき、本当によくしていただきました。何分の一も到底お返しできませんが、このようにさせていただけることは、とてもありがたいです」と心を込めて尽くされています。このことを通しても、お二人がどのように患者さんと接しておられたか、従業員さんもまた、それを理解して共に尽くされていたかがわかります。

お二人が信仰を持ち続けられ、医師としての賜物を生かし貫ぬかれ、良きご家族をもたれ、周りの方々に必要とされ愛された人生は、まことにおしあわせであったと思います。

お二人が大きな病を負われたことには心痛み、何故なのですかと神様に問いますがわかりません。どんなにお苦しいかと思いますのに愚痴ることもなく、お二人は穏やかに伏しておられます。静かに傍かたえにいらっしゃるイエス様と対話しておられるのではないでしょうか。弱い時にこそ強い慰めと励ましをいただいておられるのではないかと思っています。

照子さんを天に送られ、その上、今はコロナ禍でご家族さえも面会できません。長保さんのお寂しさを思いますが、イエス様が親しく語りかけ力づけてくださいますようにお祈りしてまいりたいと思います。

長き病解かれて天に友召さる中秋の満月ひときは冴ゆる日たたかい終え天父のもとに友憩わん病苦の歳月みな嘉せられ(日本キリスト改革派 千里摂理教会員)

*岡田照子さんは1966年12月18日京都共助会にて入会されました。[1967年3月「共助通信」による]_