小菅敏夫兄 葬儀説教 春原 禎光
創世記28・15より
「見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守る。わたしは決してあなたを見捨てない。」
コリントの信徒への手紙二4・14― 15
「主イエスを復活させた神が、イエスと共にわたしたちをも復活させ、あなたがたと一緒に御前に立たせてくださると、わたしたちは知っています。すべてこれらのことは、あなたがたのためであり、多くの人々が豊かに恵みを受け、感謝の念に満ちて神に栄光を帰すようになるためです。」
小菅敏夫さんは、1939年(昭和14年)12月17日に、神奈川県横須賀市で生まれました。お父様小菅幸弥(こうや)さま、お母様寿以(すい)さまの三人兄弟の三番目のお子様でした。その後、横須賀から茨城県の水海道に転居されました。お父様は海軍の軍人であり、1944年、太平洋戦争のニューギニア方面で戦死されました。敏夫さん、5歳のときでした。
敏夫さんは、国際基督教大学やオランダのライデン大学で学ばれ、地球環境や宇宙開発をめぐる法律や政策の研究をされて博士号を取得されました。その後、電気通信大学、ジョージワシントン大学、デジタルハリウッド大学などで教育・研究を続けてこられました。
その間、1969年にオランダで、妻となるあけみさんと結婚されました。3人のお子様をさずかり、現在では4人のお孫様に恵まれております。
歌うことを趣味とされ、大学時代はグリークラブでテノールを担当し、卒業後も男声4人のグループ「オールデン・ゲート・カルテット」として、各地で歌ってこられました。また、オランダやアメリカで、そして日本の行く先々で、教会の聖歌隊に加わってこられました。
特に好きな讃美歌は、今日この葬儀が始まる直前にCDで流しました「主の祈り」を歌にした曲と、先ほど聖歌隊に賛美していただきました「さやかに星はきらめき」でした。
性格の面では、何にでも一生懸命に取り組み、お子様方によりますと、散歩も一生懸命散歩する、納豆をかき混ぜるのも一生懸命する、とのことでした。また、新しい技術が好きで、特に新しい自動車に関心を持っていました。その他、猫を飼っておられ、食べ物では干し柿が好物でした。
小菅敏夫さんは、学生時代に聖書を学んだことを通して、国際社会の平和に強く関心を持つようになりました。大学での研究も、科学技術の平和利用や国際協力から宇宙の平和利用にまで及びました。平和への願いは、大学での研究にとどまらず、一市民として「かしわ9条の会」の設立に加わるなど、幅広い活動につながっておりました。
キリスト教との最初の関わりは、小学生の時のことでした。学校の音楽の先生から教会のクリスマスに誘われたことがきっかけで、教会の日曜学校に通うようになりました。中学、高校時代は教会から少し離れておりましたけれども、学生時代、国際基督教大学の大学教会に通い、そこで洗礼を受けました1961年のクリスマスでした。
その後、海外での生活でも、いつも教会に行くことを大切にされていました。教会の人たちとのよき交わりにも恵まれ、先ほど触れましたように、聖歌隊に加わって主なる神さまを賛美する喜びを得てこられました。
この柏教会には、1971年にオランダから帰国して柏市に住むようになって以来ずっと通ってこられ、ここでも聖歌隊に加わり、教会の役員も長く務めてくださいました。
さらには、この柏教会の中の活動だけにとどまらず、日本国際ギデオン協会、基督教共助会などに加わって活動してこられました。
今年に入って2月にがんが発見されて手術を行いましたが、がんは転移しており、先月11月中旬に一般の病院からホスピスに移っておりました。そして、12月2日土曜日、地上での生涯を終えられました。83年と11か月17日の生涯でした。
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人間は誰もがいつかは、地上での生涯を終えます。死というものが誰にとっても現実としてあります。私たちの普段の生活の中では多くの人にとって、死について考えることはほとんどないでしょう。しかし、人の命には確かに終わりがあります。自分もいつかは死を迎えるということをわきまえておくことも、人生の中で大切なことです。
人間は、心臓が止まることで地上での歩みを終えます。しかし、そのような肉体的な命とは別に、もう一つ別の命があります。それは、神とつながり続ける命、神がとらえて離さないでいてくださる命です。
この命は死を迎えても終わりません。この命は、地上の命を終えてなお続きます。なぜならば、私たちが肉体的な死を迎えても、神は私たちをとらえて離さず、私たちとつながり続けてくださるからです。
私たちは、神とつながり続ける命に生かされています。ですから、死ということですべてが終わってしまうのではありません。神とつながり続ける命を、神は私たちに与えてくださっています。これは、私たち一人ひとりに対する神の愛と慈しみです。
小菅敏夫さんは、地上での生涯を終えましたが、今は、神の御許に置かれ、神が共にいてくださっています。神が敏夫さんを捉えて離さないでいてくださっています。
では、そのように神とつながり続けた先に、何があるのでしょうか。
やがて、神の救いの御計画が完成される時が来ます。救いが完成される時には、私たちは新しい命によみがえらせていただけます。新しい命が宿るためには新しい体も必要ですから、新しい体も与えられます。新しい命と新しい体をいただいて、私たちは死の中からよみがえらせていただけます。
実に、イエス・キリストは死から復活されました。キリストの復活は、私たち人間が死から復活することを意味していました。私たちも、死から復活させていただけるのです。
これらのことは私たち人間の理解を超えたことです。しかし、礼拝を通し、あるいは主の祈りを祈り、賛美歌を歌うことで、神から示されていきます。そして私たちは「ああ、まことにそうだ」と素直に受け止めていきます。小菅敏夫さんもそのように、神さまを礼拝し、主の祈りを祈り、また賛美歌を歌ってこられました。
神の救いの御業が完成されるときには、私たちに新しい体・新しい命が与えられます。そのようにして私たちがよみがえらせていただくとき、私たちは主なる神の前で互いに再会を果たすことができます。小菅敏夫さんとも再会できます。そして、共に新しい体・新しい命に生かされて、共に心から神をあがめます。
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小菅敏夫さんの地上での生涯の終わりに際して、私たちは、死を超えて神が私たちを離さないでいてくださることに心を向けます。死を超えて神とつながり続ける命が与えられていることに心を向けます。そして、神とつながり続ける命は、小菅敏夫さんだけではなく、私たち一人ひとりにも与えられています。そこに、神の愛と慈しみがあります。神の愛と慈しみが私たち一人ひとりに注がれています。神の愛と慈しみがこの私にも注がれている ― このことを、小菅敏夫さんの生涯を通して、また、この葬りの時を通して、私たちは心に刻みます。これらのことを通して、死を超えて私たち一人ひとりとつながっていてくださるキリストに心を向け、復活のキリストを見上げていきます。
葬儀の後、私たちは小菅敏夫さんを火葬場にお送りします。火葬を済ませますと、小菅敏夫さんのお体・お姿は私たちの目には見えなくなります。しかし私たちは、神が御許でその命をとらえて離さずにいてくださるということを、しっかり心に留めます。そして、共に新しい体・新しい命が与えられる時を待ち望みます。その時に再開を果たして、共に神をほめたたえることを希望をもって待ち望みます。そのようにしてこそ、小菅敏夫さんの生涯が、私たちの内に意義あるものとなるでしょう。そのような神の愛と慈しみが、小菅敏夫さんに注がれ、また、私たち一人ひとりにも注がれています。神は、その愛と慈しみで、私たちを覆ってくださっています。
〔2023年12月8日(金)於・日本基督教団 柏教会〕(柏教会牧師)
小菅 敏夫 略歴
1939年 12月17日 出生 神奈川県横須賀市
1961年 12月24日 受洗 三鷹市 国際基督教大学教会
2023年 12月2日 逝去 千葉県柏市
◆学歴
1951年 茨城県水海道高等尋常小学校(現常総市) 卒業
1953年 茨城県水海道中学校 卒業
1957年 茨城県立土浦第一高等学校 卒業
1958年 中央大学法学部入学 1962年 中退
1963年 国際基督教大学教養学部社会学科 卒業
1968年 国際基督教大学大学院修士課程 卒業 フルブライト奨学生としてオランダへ渡る
1971年 オランダライデン大学にて博士号取得
1971~2003年 電気通信大学 教授、名誉教授
1981~1983年 フルブライト交換教授としてワシントンD・Cのジョージワシントン大学に在職
1991年 THE ANNESBERG WASHINGTON PROGRAM The Faculty Workshop in communication workshop
2003年~ デジタルハリウッド大学教授、名誉教授
◆主な活動
日本ITU協会理事 研究会主査・国際協力機構経済基盤開発部支援委員・太平洋電気通信協議会委員・JICA会員・調布市個人情報保護審査会委員・日本基督教団柏教会役員・基督教共助会『共助』誌編集長・日本国際ギデオン協会・柏9条の会代表・Olden Gate Quartet(男性コーラス)
◆家族
1969年4月結婚 妻:あけみ ハーグのアメリカンプロテスタント教会
子供3人(長女: めぐみ、長男: 信幸、次女: まゆみ)孫4人