追悼

「田辺明子さんを偲んで」   片柳 榮一

私は京大文学部基督(キリスト)教学で田辺明子さんの後輩として学んだ者で、片柳榮一と申します。学部に入った時、田辺さん(当時は鈴木さんでしたが)は、大学院生でした。雲の上の人と思っていましたが、やがて私が属していた京都の北白川教会に田辺さんも、出席されるようになり、やがて教会籍も神戸から、北白川教会に移されて、時々礼拝のあと、他の教会の友人たちと食事をともにしながら、話をするようになりました。田辺さんは主として新約学、ことに初代教会における聖餐論を研究しておられました。時に新約学者のヨアヒム・エレミアス(Joachim Jeremias, 1900 – 1979)の聖書の語句の細々とした解説をしてくださいましたが、こちらにはチンプンカンプンで難しい話だったのを記憶しています。しかし田辺さんの関心は広くティリッヒの芸術神学についても研究しておられ、ティリッヒの思索の根本に、ベルリンの美術館で見たサンドロ・ボッティチェッリ(Sandro Botticelli, 1445 – 1510)の聖母像の啓示があったことなどを教えていただきました。そして後で知ったのですが、田辺さん自身、絵を描いておられました。鮮やかな油絵で、その静物画の一つを頂いたことがあります。あまりに見事な出来栄えなので、「田辺さんにはもう一つ別の道もあったのですね」と、つぶやいたことを思い出します。

楽しい思い出としてあるのですが、大学院生の頃のある時、田辺さんが基督教学教室の数名の学生に声をかけて、京都の師走恒例の南座での歌舞伎顔見世興行に行くことになりました。歌舞伎を見るというのは、私にとって初めての経験でした。確か冨士のすそ野での曽我五郎十郎の仇討ちの場面があったと思います。見ていて改めて、歌舞伎というものが、字の通り、歌と踊りの、いわば西欧風にいえば「歌劇」なのだということがよく分かりました。そして人々が、筋書の良く判っているある場面を、役者がどう演ずるかをゆっくりと楽しむ上等な娯楽であり、何百年も続いてきたのもなるほどと思いました。これからも見続けたいと思ったものの、物ぐさ者には券を手に入れるのは大変なようで、その後忙しさもあって行けないままになっていますが、有難い経験を田辺さんにはさせていただきました。

大学院を出て、田辺さんはプール学院大学、私は関西学院大学に務めるようになりました。私は関西学院でドイツ語の専任講師から出発したのですが、田辺さんに、関西学院へドイツ語の非常勤講師として来ていただいて、よくお話をおききしたりしました。もはや学生としてではなく、教師の立場から、いろいろ抱えた問題を話し合ったことを覚えています。プール学院が熊取(くまとり)の方に移転し、その通いが大変になったことなども語ってくれました。

それから田辺さんはチュービンゲンへ留学が許されました。帰国されてしばらくした頃、チュービンゲンで知り合いになったご夫妻が日本を訪れ、田辺さんはお二人を北白川教会に連れてこられました。この方たちは、ドイツのユダヤ人迫害の問題を厳しく追及されてきた方々で、彼らが言うのに、「日本の人々にとってドイツ人のイメージは、ゲーテやベートーベンなどの精神的巨人を思い浮かべるかもしれないが、ユダヤ人迫害という残忍としか言えない面がドイツ人にはあることを決して忘れないでほしい」と痛切な言葉を語られたことが印象的でした。こうした人々と親しくされていた田辺さんのある一面を知らされたように思います。

その後、田辺さんはお母さまと一緒に住まわれるようになりました。ある意味で落ち着いた生活だったことがお話の中でうかがわれました。ある時、田辺さんは少し暗い顔をされて、ぽっつりと、非常にしっかりしていた母が認知症気味になって来て、今日はそのことで母とやり合い、その落ち度を厳しく責めてしまったと語っておられました。田辺さんにとっては自分の手本のようなきちんとしたお母さまが崩れて行く様に耐えられなかったようでした。そしてある時、母の落ち度を厳しく𠮟りつけた自分に、本当に赦しは与えられるのだろうかとポツリと独り言のように語っておられました。ああ、田辺さんは、本当に自分の問題として、赦しの問題に苦しんでおられるのだ、と思わされました。田辺さんの率直で、真剣な一面をあらためて見せられた思いでした。

田辺さんは次第に老いてこられ、杖をつきながら、教会に来られていました。ふと老いたお母さまとの葛藤を語られていた田辺さんが、自分の老いをどのように担っているのかと考えさせられました。そして田辺さんの老いながらも背筋を伸ばして己を問い続けた姿が思い浮かびました。そのような田辺さんは今、真に安らって神の内におられることを改めて確信させられています。

*この文章は、田辺さんの「葬儀」において語られたものです。

(日本基督教団 北白川教会員)