「コロサイの信徒への手紙」を読む(二)神を知るということ 下村 喜八
コロサイの信徒への手紙 第1章9節―14節 1.霊による知恵と理解 「どうか、〝霊〟によるあらゆる知恵と理解によって、神の御心を十分悟り、すべての点で主に喜ばれるように主に従って歩み、あらゆる善い業を行って実を
続きを読むコロサイの信徒への手紙 第1章9節―14節 1.霊による知恵と理解 「どうか、〝霊〟によるあらゆる知恵と理解によって、神の御心を十分悟り、すべての点で主に喜ばれるように主に従って歩み、あらゆる善い業を行って実を
続きを読むコロサイの信徒への手紙第1章3―6節 はじめに 編集長の石川光顕氏から雑誌『共助』に「聖書研究」の記事を依頼されたとき、すぐにはお返事できなかった。私のような門外漢に、十分な調査と学問的な議論はできないと思ったからであ
続きを読む雅歌の解釈をめぐる論考も最終回になりました。雅歌は知恵文学であるという私のテーゼによって雅歌を読み解く試みを、今回は具体的なテクストでやってみます。その前に、雅歌の文学的テクストと響き合う旧約の箇所に目を向けたいと思いま
続きを読む雅歌の解釈をめぐって考察をしてきました。いくつかの解釈を紹介しましたが、私自身の解釈についてそろそろきちんと書かなければなりません。連載の第一回目に多少、書きました。それは、雅歌が旧約の知恵文学であって、知恵の「謎解き」
続きを読む雅歌の解釈をめぐって考察をさらに続けます。今回はフィリス・トリブルの雅歌解釈を紹介します。フィリス・トリブルはフェミニスト神学者ですが、旧約聖書学者として大変優れた研究をしています。かつて日本に滞在して大学で教鞭を執った
続きを読む雅歌の解釈をめぐって考察を続けます。前回は、20世紀の神学者カール・バルトとゴルヴィツァーの雅歌解釈を紹介しました。雅歌は聖書学者だけが研究対象にするのではなく、組織神学者もまたこの書に挑むのです。雅歌はさまざまな神学的
続きを読む雅歌をどう解釈するかをめぐって考察をします。今回は第2回です。いきなり雅歌のテキスト解釈を始めるのではなく、雅歌がこれまでどう解釈されてきたかについて、もう少しじっくり考えてみたいと思います。そこで、20世紀最大の神学者
続きを読む1.はじめに 今回、共助誌に聖書研究の連載を依頼されました。6回の連載で何を扱うか、しばらくあれやこれや考えました。昨年末に聖書協会共同訳が発行されましたので、その翻訳をめぐって書いてみようかと思いました。しかし、聖書翻
続きを読む【聖書研究 ヨハネによる福音書 第7回】 ヨハネ福音書17章 この福音書の頂点ともいえる17章のいわゆる「大祭司の祈り」の箇所を、今回は取り上げようと思う。他の福音書の「最後の晩餐」の記事に代わるものとして、ヨハネ福
続きを読む聖書研究 ヨハネによる福音書 第六回ヨハネ福音書一 1章1- 44節 ヨハネ福音書におけるラザロの復活の記事は、印象深く、物語としても詳細である。そしてこの出来事がこの書の中で置かれている位置も、深く暗示的である。ここ
続きを読む聖書研究 ヨハネによる福音書 第五回 主イエスを羊飼いに譬えたヨハネ福音書一〇章は、或る親しみを込めて私たちに語り掛けてくるものを持っている。私たちの生活は、牧畜とはかけ離れているが、聖書に親しんだ者にとっては、この世界
続きを読む【聖書研究 ヨハネによる福音書 第三回】 ヨハネによる福音書第四章の「サマリヤの女」の話は私にとって印象深く、これまでも何度か取り上げてきました。好んで取り上げた理由を考えてみますと、やはりここでサマリヤの女と話してい
続きを読む今日はヨハネ福音書三章のニコデモとの対話を取り上げてみたいと思います。この対話はちぐはぐです。一読しただけでは、話のつながりを追うこともかなり骨がおれます。もちろんヨハネ福音書の記者は意識的にこのちぐはぐさを創り出してい
続きを読む前回は、聖霊降臨の直後のペトロの長い説教のはじめ、2章14~21節までを学びましたが、今回は、その続き22 ~35節です。 ペトロは、ペンテコステの出来事は、あなたがたがよく知っている旧約の預言の成就である、神の霊の降臨
続きを読むはじめに 映画「ベン・ハー」でのイエスの姿、行動を忘れない。なかでも、後半部「山上の説教」シーンは、感動的であった。 そして、二〇〇〇年と二〇一三年、イスラエルを訪問し、ガ リラヤ湖畔に立ち、「山上の説教教会」とその周辺
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