雅歌の解釈をめぐって(第三回) 小友聡
雅歌の解釈をめぐって考察を続けます。前回は、20世紀の神学者カール・バルトとゴルヴィツァーの雅歌解釈を紹介しました。雅歌は聖書学者だけが研究対象にするのではなく、組織神学者もまたこの書に挑むのです。雅歌はさまざまな神学的
続きを読む雅歌の解釈をめぐって考察を続けます。前回は、20世紀の神学者カール・バルトとゴルヴィツァーの雅歌解釈を紹介しました。雅歌は聖書学者だけが研究対象にするのではなく、組織神学者もまたこの書に挑むのです。雅歌はさまざまな神学的
続きを読む一 尾崎風伍先生と呼ぶべきであろうが、多年兄けい事じ してきた敬愛の思いをこめてのさん付けで記すことを許されたい。 尾崎さんと私とのはじめての出会いは1962年、箱根で開かれた共助会夏期信仰修養会においてであっ
続きを読む1987年という年は、井草教会にとって、また久我山教会の前身であった元阿佐谷東教会のグループにとって大いなる転換と試練の年であった。信仰上の理由から母教会を離れたこのグループ(もう一つ同様の理由で母教会を離れたグループが
続きを読む本日は、お忙しい中、父のためにこのようにお集まり頂きましてありがとうございます。こうして、本城先生の司式のもとに告別式を無事に終えることが出来ました。 また、式の中では、心温まる弔辞をいただき、本当にありがとうございまし
続きを読む主婦としての立場から何か話すように頼まれまして、非常に困っております。と申しますのは、主婦と申しましてもまことに不甲斐ない主婦だからです。 それで特に主婦としてというわけではありませんが、去年の9月に私共の養子としてベト
続きを読むこの夏、尾崎亜紀さんが風伍先生のご容態をお知らせくださった頃、私は母を訪問してくださった中渋谷教会員の松坂様ご夫妻から、昔の写真を見せて頂く時を得ました。その中に、一昔前の中渋谷教会前で撮った集合写真がありました。 19
続きを読む尾崎風伍・マリ子両先生は、1965年10月に戸塚から海老名に引越して来られました。その12月19日に御自宅で近隣の子どもたちを集め、「こひつじ会」と呼称された子ども会を始められました。そして翌年「こひつじ会」が中渋谷教会
続きを読む熱海の「海の見える病院」を初めてお見舞いに訪れたのは9月3日でした。共助会の友と共に、亜紀さんに伴われてのことでした。 病床の尾崎さんは、私たちが訪れたことをお分かりになった様子で、呼びかけの声に、時に涙を流しておられま
続きを読む(ローマ15章1~6節) 尾崎風伍牧師の御生涯を振り返り、思うことは、神の恩寵を受けた生涯であると同時に、その恩寵に応答して生きた生涯であったということです。 神の恩寵はその89年の御生涯の至る所に示されていると思います
続きを読むこの文章が印刷に付されて皆様のお手元に届く頃は、コロナ禍はどうなっているであろうか? それにしても大変な人的物的損害を全世界に拡大した災禍(さいか) である。この災いは神の御手によって中国で発生し、多くの人を死
続きを読む会員の皆様、いかがお過ごしでしょうか。 コロナ禍のため、試練の日々を送られていることと思います。 又、降り続く大雨による川の氾濫や土砂災害など、コロナ禍に加えて厳しい日々が続きます。どうか、それぞれの馳せ場にあって、健康
続きを読む『共助誌』本年第4号(6月発行)で、今夏佐久学舎開催可否についての判断の目安として、「国内で新たなコロナ感染者が出なくなるという点を重視したい」とお伝えいたしました。しかしその後現在に至るまで、残念ながらその要件を満たす
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