どんな時も主と共に 鈴木 美恵子
主イエス様の憐れみに只々感謝します。高校1年の時に受洗して56年。神さまの選びと導きの中で、結婚生活50年。平凡な主婦の歩み。何の取り得もない私を愛して、十字架上で死なれた救い主イエス・キリストのもったいなさにひれ伏しま
続きを読む主イエス様の憐れみに只々感謝します。高校1年の時に受洗して56年。神さまの選びと導きの中で、結婚生活50年。平凡な主婦の歩み。何の取り得もない私を愛して、十字架上で死なれた救い主イエス・キリストのもったいなさにひれ伏しま
続きを読む私は高校生の時、二年生の後半までなかなかクラスに馴染めず、いつも一人でいました。結果的に友達ができたけれど、高校生活の大半は他の人に比べとても言葉にできない孤独で虚しいもののように感じていました。 自分に居場所がないとい
続きを読む八月になると日本の敗戦の頃の事を思う。 当時私たちは朝鮮の釜山に住んでいた。家は呉服店とみそしょうゆの醸造販売をしていた。戦いは続き戦禍を避けるため母と4人の子供たちは近郊の金海(キンカイ)へ疎開した。私たちはそこの両班
続きを読むこの度の闘病生活を経験する中で、一文を、との要請を受けてから一か月半が経ち、ようやく重い腰を上げているところです。 何を書いたらよいのか思い定まらない中で、ヒントとなったのが、今年七月、私の所属する教会で発行された会員の
続きを読む学生時代、信濃町教会の牧師、父正俊から、基督教共助会のことは聞かされていた。共助会は、創立者森 明のもとに1919年創立された「キリストの外自由独立」と「主にある友情」を交わりの基底にすえる使徒的団体である。なにか惹かれ
続きを読む【誌上夏期信仰修養会 証しⅠ①】 「この世の禍まがさち幸いかにもあれ、栄の冠は十字架にあり」(讃美歌331、日本基督教団讃美歌委員会、1954年版)。 コロナ禍でやむなく中止となった今年の修養会。参加を楽しみに
続きを読む【誌上夏期信仰修養会 証しⅠ②】 私がアジア学院(アジア農村指導者養成専門学校)というユニークな場で働くようになってちょうど25年目である。アジア学院以外の仕事は、英語教師として中学校と高校に務めた3年間だけな
続きを読む【誌上夏期信仰修養会 証しⅡ①】 私は小学生のころからいじめられっ子であった。これは私の原体験のようなものである。理由はよくわからない。集団主義で同調圧力の強い日本社会の中にあって、周りの人々に何か異質なものを
続きを読む【誌上夏期信仰修養会 証しⅡ②】 子ども時代 私は1966年8月2日に東京都杉並区に生まれました。母は千葉県生まれですが実質的には広島県出身、父は長崎生まれです。今に至るまで私のために祈り、私を見守ってくれる父
続きを読むドイツ滞在中に日本国内や世界で重大事件が次々と起こったが、1972年2月の浅間山荘事件には本当に驚いた。テレビ・ニュースで放映され、そのことを知らせにきたドイツ人の友人とハラハラしながら見たのである。また5月にはテルアビ
続きを読む「私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださ
続きを読む今回、記事の執筆依頼を受けた時に、私はあまり書ける気がしなかった。夏期修養会での発表に対して、安積先生から応答があったが、その応答に対しての自分の再応答がまとまっていなかったからだ。しかしながら、言葉や形式を綺麗に飾りた
続きを読むこの度は、発題の機会を頂き感謝致します。 私は、大学浪人中に川田先生に出会い、大学1年より佐久学舎に参加させて頂き、はや九年になります。共助会の修養会には、今回初めて参加させて頂きました。 私は、静岡県袋井市にある、デン
続きを読む◆自己紹介 碓氷麻里加と申します。社会人6年目の二七歳です。日本聾話学校(日本で唯一のキリスト教主義の聾学校)で働いております。高校生の時に信仰を与えられ、大学3年生(20歳)のクリスマスに中渋谷教会にて受洗しました。中
続きを読む私が奉職しております教会附属幼稚園の同窓会長を担ってくださり、福音宣教のために全力を注ぐとはこういう事なのだと身をもって教えてくださった大変に尊敬する飯島 信先生に誘われて、何度かこちらの修養会に参加させていただきました
続きを読む