パプアニューギニア・ニューブリテン島からの祈り 久米のぞみ
南太平洋、赤道直下、パプアニューギニアの西ニューブリテン州、ワシラオ村にアタ語を話す方々が生活しています。人口は、約4、000人の小さな民族です。焼き畑農業を中心として、狩猟をしながら弥生時代かと思うような生活をしていま
続きを読む南太平洋、赤道直下、パプアニューギニアの西ニューブリテン州、ワシラオ村にアタ語を話す方々が生活しています。人口は、約4、000人の小さな民族です。焼き畑農業を中心として、狩猟をしながら弥生時代かと思うような生活をしていま
続きを読む「なにを頼りに見つめていけばいいか」、小高での滞在制作はそればかり考えていました。贅沢な、それでいて正しい心のざわめきだったと思います。街と対話するには短い2週間の滞在でしたが、この街の隙間は、不在であり、不在でしかない
続きを読む3年ぶりに佐久の地で、対面して聖書研究会を行うことができました。8月16日(月)の夕方から20日(土)の午前中まで、5泊6日で、エフェソ書を読む聖書研究会は4日間でした。参加者は、川田 殖先生・綾子さんご夫妻、石川光顕先
続きを読む一 パウロの獄中書簡の一つといわれる「エフェソ書」は昔からいろいろな考察がなされていて、結論の出ていない所が多い。結局自分でよく読み、考えて一応の見方をすることになろう。読む人の課題である。私はこれがフィリピ書の少しあと
続きを読むはじめに 佐久学舎は2020年と2021年はコロナ禍で危険と考えたためお休みでした。2022年の開催をどうするかは困難な課題でした。2021年度の延べ参加人数は40人以上となっており、全期間は参加できないけれども、1泊だ
続きを読む5月からはじまった「エチカの会(注1)」は、日本と世界、東アジアの政治、社会、思想、文化など、人間に関わる物事についての問題意識を語り合うための勉強会で、このところロシアによるウクライナ侵攻についての議論が続いている。「
続きを読む鈴木一氏の著作「竹岡美以教会略史* 1 」に依れば、130年前の1892(明治25)年8月28日(日)に天あま羽は 基督教会の第一回礼拝が執り行われた。司式者は内村鑑三氏であった。讃美歌25
続きを読むそれは、突然のことでした。 8月30日(火)、小高伝道所に、前日知り合ったばかりの小高教会幼稚園卒業生のSさんに伴われて、若い二人が現れ、廃園が決まっている園舎を見学したのです。一人はギター奏者、もう一人は写真家でした。
続きを読む5月28日から7月17日までの約2か月の間、私たち夫婦は三男直人が20年間住んでいるスリランカに行ってきました。その報告をします。 (1)現地からの「便り」 石川惠子【調布教会 月報7月号:原稿より】 ここに来て17日目
続きを読む8月から『共助』〝誌友〟になりました和久井 洋子と申します。石川さんから「誌友」と呼んで頂き、〝誌友〟という言葉があることを知り、何と良い言葉だろうと思いました。(〝誌友〟は、『共助』創刊の頃から使われているの
続きを読む「喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい」(ローマ12: 15)沖縄に住んでいる私たちのことを気にかけ、祈りに覚えてくださり感謝します。これまで『共助』誌に「乳癌をすこやかに病む」証しを書かせて頂
続きを読む2020年「公務員の処分量定を問う公開質問状」 この度、共助誌に投稿の機会をいただいて、東京・大阪の「君が代」不服従による被処分教員6人が呼びかけ人となって2020年に提出した「公務員の処分量定を問う公開質問状」に関わり
続きを読む荒井洋子 まず今回の修養会が準備委員会の皆様の英断により開催され、無事に終了出来ましたことに感謝いたします。 今年のテーマ「キリストに在る友情に生きた2人の先達に想いを馳せる」を基にお2人のご講演をお聞きしました。 1日
続きを読む「しゃろーむ」は聖書の言葉で、普通には「平和、平安」と訳されますが、しかし、これは単に戦争がない平和とか、悲しみ苦しみのない平安、平静ということではありません。争いや、難問、重い病、不安や恐れといった中にあっても、それら
続きを読むキリスト教は多文化交流の宗教であると言える。 旧約聖書の中心は、大国によって国を滅ぼされ、異国に連れ去られた人々によって、自分たちの信仰を確かめたことにある異国の地で、自分たちがどのように神によって創造され、どのように神
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