友という友はなきにあらねど―2022年信仰修養会偶感 川田殖
ことしの修養会は、3年つづきのコロナ禍で、昨年同様、小諸市古城のグランド・キャッスル・ホテルで行われたが、例年よりメンバーは少なく、31名であった。しかし早くから参加を希望しながら、この事情のため、祈りつつ当地でそれを覚
続きを読むことしの修養会は、3年つづきのコロナ禍で、昨年同様、小諸市古城のグランド・キャッスル・ホテルで行われたが、例年よりメンバーは少なく、31名であった。しかし早くから参加を希望しながら、この事情のため、祈りつつ当地でそれを覚
続きを読む第一次世界大戦直後の1921年、デンマークに一つの学校が誕生した。創立者のピーター・メニケは、敵同士であった者でも、学びと生活を共にすることで、互いを尊重し、共通の理解を育み、平和を実現することができると信じた。私は20
続きを読む軍事侵攻されるウクライナの映像は、驚きとともに戦争の惨めさ、人間のもつ罪の惨状を示され、一日も早い収束を祈らざるを得ません。77年前の焼土となった日本を思いつつ、共助会の出版物等をたどりながら、戦前から追求されていた贖罪
続きを読む昨年11月から共助会の有志メンバー6、7名で中村きよみ様宅において創世記から聖書通読を始めました。創世記の初めのことばは「初めに、神は天地を創造された。」(創世記1章1節)です。聖書はこの天地を創造された方がおられること
続きを読む一月の基督教共助会信仰修養会に参加して、共助会の先達の歩みを学ばされる中で、今は亡き李仁夏先生と沢崎良子さんの言葉が思い出された。李先生のお話をうかがったのは、確か1980年代の京阪神共助会の修養会であったように思う。そ
続きを読む「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」(マタイによる福音書 第25章40節) コロナ禍が続く。試練の内容は違いつつもその現実を受け止め、キリストが待
続きを読む2021年のクリスマスを迎える時となった。 恐ろしいことに1年8か月もこの世を覆っているコロナの闇の中で、私は自分の明朗な声を発することができず、人の明るい声も聞くことができず、さらに自分の声を自分の中に埋め込み、閉じ込
続きを読む「天の国は、高価な真珠を見つけた商人が持ち物をすっかり売り払って買うようなものだ」(マタイ13:45、46) この夏、映画「太陽の子」を見た。戦時下、軍の命令により京大物理学者荒勝文策の下で原子爆弾の開発が行われていた。
続きを読む日本では、今日、おそらく、この日を「終戦」と言う人が大多数でありましょう。この日を「敗戦記念日」として覚える人は、日本の犯した歴史に罪の意識を持った極々少数者でありましょう。わたしは、「終戦」を使う人は、歴史も知らない、
続きを読む東日本大震災と福島第一原子力発電所の事故から10年が過ぎた。今も激しい揺れとその後の余震に耐えた日々の記憶は鮮明である。何よりも、太平洋沿岸部の町を襲った大津波の壊滅的な被害の状況に驚愕した。しかし、事故により散乱した放
続きを読む私が洗礼を受けた日本キリスト教団筑波学園教会は、創立(1978年)初期を、韓国人の留学生の熱心な祈りと奉仕で支えられたと聞く。私が出席し始めた1987年もその雰囲気があった。私はそこで池ち 性韓さんと出会った。
続きを読む昔の北白川教会の、畳の間と板の間を仕切る柱に手をやりながらぼんやり外を眺めていると、奥田先生が近づいて来られて、やがて森 明の話になった。晩年の植村正久について森 明が「先生でももう時代が読めなくなっている」という話で、
続きを読む「まことにこの人は神の子であった。」(マルコによる福音書 第15章39節。1954年改訳) 今から半世紀も昔、1971年が明けて間もなく、私の心の内には嵐が吹き荒れていた。特に教会の在り方をめぐって、牧師と私は激しくぶつ
続きを読む身をもって相ともに事をなす。人間同士の交わりは、この一事によって初めて生き生きと具体化する。しかしコロナ感染拡大のなか、われわれはそのことを抑制しなければならなくなった。動き出しと同時にブレーキをかける。あるいは動き出す
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