対話不在の国(2002年12月) 佐伯 邦男
日本には会話はあっても、対話がないと思うことが多い。いろんな集会での挨拶で、「御多忙中のところ」とか「足もとの悪い中を」とか、「誠に良い御講演をいただき」とか、定形的な表現が生活の周辺にうごめいている。また、講演会や報
続きを読む日本には会話はあっても、対話がないと思うことが多い。いろんな集会での挨拶で、「御多忙中のところ」とか「足もとの悪い中を」とか、「誠に良い御講演をいただき」とか、定形的な表現が生活の周辺にうごめいている。また、講演会や報
続きを読む雨の涼しい休日、聖書を開き暑い夏の喧騒の中からやっとわれを取り戻した。雨に黒々と潤いを得て耕される畑のように貴重な時のしずく。「2学期のこと、10月には卒業対策、そして有事法制や、教育基本法、組合、教員への締め付けを考
続きを読むいま、朝祷会、朝祷運動がしずかに続けられています。そこでは、北東アジアの平和のため、世界の平和のため、祈りの火が燃え続けています。 早朝、主のみ前に静まり、いっしょに聖書の言葉に聞き、いっしょに祈る。そのあと、食卓をと
続きを読む今この国を覆いつつある闇は、エジプト全土に臨んだ闇のように深い(出エジプト10・21-29)。敗戦という歴史的経験が、庶民レヴュルで、日々の生活現場・生活実感に回心にも似た深い陰影を与えていた時代の息吹は、いまやこの国
続きを読む「夜は更け、日は近づいた。だから、闇の行いを脱ぎ捨て光の武具を身につけましょう」(ロマ13・12)。 悩みを抱えたまま終末に向かって歩みつづけるこの世界が、それでも信仰者にとっては遣わされた場であると、ローマ訪問を前
続きを読む第三回韓日キリスト教共助会修練会が4月の1日から3日間、ソウルのイエス教長老会女伝道会館を会場に開催された。わたしは、閉会の翌日の午後、日本福音ルーテル挙母教会の明比輝代彦牧師と共に、安重根記念館を訪れた。近くの公園に
続きを読む4月1日より3日まで、暖かな春の陽射しを身に浴びながら、第3回韓日キリスト教共助会修練会が3度ソウルの地で開催された。日本からの参加者は23名であったが、韓国側の参加者はかつてなかったほど多数に上り、その数40名をはる
続きを読む21世紀を迎えて日本のキリスト教界に明るい光を見ることができるでしょうか。共助会は今、どのような働きが期待されているでしょうか。私は、共助会が教会に対して寄与することのできる重大事があると信ずるものです。それは何か。宗
続きを読む「隣人」とは何の謂であろうか。この問いは抽象的、思弁的な考察の対象としては、「存在論」や「主体」という部類に属するものとなろう。しかし、具体的・身体的な考察の対象としては自己との関わり、つまり私にとっての関係性を抜きに
続きを読む21世紀の初頭を飾るはずであった2001年は、9月11日の同時多発テロによって底知れぬ 不安と悲惨の暗雲でおおわれてしまった。報復戦争や炭疽菌テロなど、世界中が不安と疑心暗鬼と憎しみを増幅する悪循環に陥った感がある。世
続きを読む21世紀のはじめの年である今年の3月に起こったバーミヤンの石仏破壊のニュースは、何か新しい世紀を象徴しているかのように思えて何とも嫌な気がした。この石像の顔はすでに削り取られていて、仏像に対する歴史的な嫌悪の深さが示さ
続きを読む私たちがよく知っている歴史的事件の一つに(三・一独立運動と堤岩里事件)があります。日本は1919年4月、この小さな堤岩里という村で、警察と憲兵によって、この地方の三・一独立運動において中心的な役割を演じたキリスト者
続きを読む朝、出勤の時間だ。鉄扉を開け、車を出す準備をする。と、足元にたばこの吸殻ひとつ。おととい来た電気屋が捨てて行ったものだろう。拾い上げて指先にはさむ。また一つ、これは庭から道路に出る境に落ちているから、通 勤の人が落とし
続きを読むあらゆる教育の営みは、「人格の完成」を目指す。(教育基本法第一条「教育の目的」)「人格」とは、すぐれて「個」である。世界に二人といない「一個の人格」としての子ども達。教育の目的は、今、目の前にいる「この子」に注目し、そ
続きを読むサムエル記下の2章17節以下に、「弓」と題する哀悼の歌が載っている。ギルポア山でペリシテ軍と戦い、命を失ったサウルとその子ら、特にヨナタンを悼んで詠んだダビデの歌である。 ダビデの名声が高くなるにつれ、サウル王は敵愾
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