この春、共助会の針路について思う(1)(2006年4月号) 尾崎 風伍
主の晩餐の夜、主イエスはペテロに「シモン、シモン、サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた」と言われました。今、日本のキリスト者は、その信仰を問われてふるいにかけられるような状況に
続きを読む主の晩餐の夜、主イエスはペテロに「シモン、シモン、サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた」と言われました。今、日本のキリスト者は、その信仰を問われてふるいにかけられるような状況に
続きを読む「吾等が年毎に祈りて待つものに夏季の信仰修養会がある。それは特に備えられたる主の審きの御座であり、恩恵の時である。其処に我らは主の聖前に罪の悔改と新しき志とを与えられて又再び信仰の戦に立ち出づる力と希望とを与えらるゝを
続きを読む神は、モーセを通し、出エジプトのイスラエルの民に対して 「今、もしわたしの声に聞き従い わたしの契約を守るならば、あなたたちはすべての民の間にあってわたしの宝となる。世界はすべてわたしのものである。あなたたちは、わたし
続きを読む今、「普通の」と呼ばれる子どもたちが、妙に素直だ。そして、妙に明るい。目の前の相手や集団に合わせることだけを内心必死でやっている「一見明るい良い子」が、なんと増えたことか。それは、外界からの得体の知れない不安や恐れから
続きを読む若い人から、たまに年齢を問われることがある。私は「26年生まれですよ」と言うと、「未だお歳ではないのですね」と答えが返ってくる。1926年と昭和26年とを間違えるのである。「明治41年生まれの方が、平成8年に亡くなられ
続きを読む戦前のタブロイド判『共助』1940年5月号に奥田成孝先生の「聖霊降臨節を迎へて」という巻頭言があり、文半ばに森明先生の随想「濤声に和して」からの引用がある。 「恐る可きは某国や我国の困難に際して或いは起るであらう革命
続きを読むステファノの殉教に端を発したエルサレム教会への大迫害により、使徒たちのほかは皆ユダヤ、サマリヤの地方、更にアンティオキアまで散らされて行き、福音を告げ知らせながら巡り歩いた。特にアンティオキアではギリシャ語を話す異邦人
続きを読む今夏の修養会の主題は「今の時代に信仰を言い表す――ドイツ告白教会と日本の教会、ボンヘッファーが問いかけていること」。主題講演(会員・森岡巌氏による)そのものが、昨秋の京阪神共助会修養会の後を受けて「では、共助会はどうす
続きを読む目に見えない霊力、神々や精霊や死者の霊が、忘我や悦惚の状態に入った人間を通して、託宣や治癒など不思議な働きをする。この霊の働きは一般にシャーマニズムと呼ばれ、その媒介者はシャーマンと呼ばれる。その働きは太古から世界的に
続きを読む「日本の過去の清算を要求する国際連帯協議会ソウル大会」が、今年の5月に実質2日半の日程で行われた。2002年5月に同名のシンポジウムが平壌で開かれ、同席上で国際連帯協議会が提案され、昨年第一回目が上海で行われたのに続い
続きを読む1933年生まれの者は、ある意味で微妙な立場にいる。子供が社会の雰囲気を肌で感じて世の中の仕組みや人間関係などを一応理解できるようになるのを12歳位とすれば、私もその一人である33年生まれは、さしずめ「最も若い戦中派」
続きを読むミッション・スクールの課題は多くある(ここではキリスト教主義学校という意昧でこの語を使う。ミッション[宣教団]が基金を出し宣教師を多く派遣して運営している学校は、今や日本のプロテスタントでは殆ど存在しないからである)
続きを読む不易と流行」とは、いまや陳腐にさえなつた、芭蕉の俳論の用語であるが、単純な対立ではない服部土芳の「三冊子」によれぱ、その根底は一つであつて、「風雅の誠」つまり創作に注ぐ真剣な心がけだという。時代をこえて人の心を打つ作品
続きを読む2000年、東京の小学校の卒業式で、何も書いてない小さなリポンを胸につけた教員十数名が、全精神を職務に集中していなかったという理由で「職務専念義務違反」の処分をうけた。一人が仲間と考えた末、管理と強制を強める学校の中で
続きを読むこころにやきつけられている風景がある。早朝の静けさの中、さわやかに、祈りが流れていた。澄んだ明るい声。簡潔、平易な言葉。さしこむ朝の光を浴びて六-七人が祈り合っていた。祈っているのは「熱河宣教」の福井二郎先生。日中戦争
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