小高教会幼稚園にて(2022年9月)新藤早代
「なにを頼りに見つめていけばいいか」、小高での滞在制作はそればかり考えていました。贅沢な、それでいて正しい心のざわめきだったと思います。街と対話するには短い2週間の滞在でしたが、この街の隙間は、不在であり、不在でしかない
続きを読む「なにを頼りに見つめていけばいいか」、小高での滞在制作はそればかり考えていました。贅沢な、それでいて正しい心のざわめきだったと思います。街と対話するには短い2週間の滞在でしたが、この街の隙間は、不在であり、不在でしかない
続きを読む「荒れ野に水が湧きいで 荒れ地に川が流れる。」(イザヤ書35章6節) 住み始めた小高(おだか)を知りたい。それだけの想いで、伝道所で二つの集まりを始めた。昼の部の「小高への想いを語る集い」と、夜の部の「小高を愛し、小高を
続きを読む3年ぶりに佐久の地で、対面して聖書研究会を行うことができました。8月16日(月)の夕方から20日(土)の午前中まで、5泊6日で、エフェソ書を読む聖書研究会は4日間でした。参加者は、川田 殖先生・綾子さんご夫妻、石川光顕先
続きを読む一 パウロの獄中書簡の一つといわれる「エフェソ書」は昔からいろいろな考察がなされていて、結論の出ていない所が多い。結局自分でよく読み、考えて一応の見方をすることになろう。読む人の課題である。私はこれがフィリピ書の少しあと
続きを読むはじめに 佐久学舎は2020年と2021年はコロナ禍で危険と考えたためお休みでした。2022年の開催をどうするかは困難な課題でした。2021年度の延べ参加人数は40人以上となっており、全期間は参加できないけれども、1泊だ
続きを読む今年に入ってから、一週間に2〜3回くらいのペースで日記を書いています。 佐久学舎から帰って直後に書いた記録(8月22日)に、 ・私って欠けが多いなあ。 ・祈りの場、正直でいることが聞かれて、それまでぎゅっと自分で握りしめ
続きを読む佐久学舎では、神との関係性、人との関係性において気づきを得た。ここでは、関係性に生きるとはどういうことかを考えたい。特に、年下との関係性において述べたい。というのも、年上であるということは、それだけで、望むと望まざるとに
続きを読む思い出を振り返る機会をくださってありがとうございます。自分は今年初めて佐久に行きました。元々自分は東京下町生まれで、この地方に縁はないのですが、佐久は、埼玉の田舎に住むおばあちゃん家ち の近くの雰囲気にどこか似ている感じ
続きを読む〈はじめに〉 クリスマスおめでとうございます。 2022年の日本と世界は、明るい話題に満ちていたとは言えません。2020年に日本にも上陸した新型コロナウイルス感染症は、第七波が収まりかけていますが、完全には消えないでしょ
続きを読むルカによる福音書11章1~4節 はじめに 神学生時代、奈良のある教会で夏期伝道実習をしました。近くには鹿で有名な奈良公園があります。私はその公園である一つの光景に驚きました。夏休み、多くの観光客でにぎわう園内でひときわ注
続きを読む5月からはじまった「エチカの会(注1)」は、日本と世界、東アジアの政治、社会、思想、文化など、人間に関わる物事についての問題意識を語り合うための勉強会で、このところロシアによるウクライナ侵攻についての議論が続いている。「
続きを読む・10月25日(火曜日)10時~12時 松本中央図書館にて ・司会 丸山恵津子さん 出席者6名 ・テキスト『日本人にとってキリスト教とは何か』若松英輔著第5章告白について 詩編103編の朗読と祈りにて開会 自己の内なる真
続きを読む新潟市北区太夫浜325、日本海を望む砂丘地に建つ敬和学園高校(1968年開校、1回生入学、今年は55回生入学)。卒業生たちにホームカミングが呼びかけられた。秋深い10月8日(土)午後1時からである。コロナ禍で休止からの再
続きを読む鈴木一氏の著作「竹岡美以教会略史* 1 」に依れば、130年前の1892(明治25)年8月28日(日)に天あま羽は 基督教会の第一回礼拝が執り行われた。司式者は内村鑑三氏であった。讃美歌25
続きを読むそれは、突然のことでした。 8月30日(火)、小高伝道所に、前日知り合ったばかりの小高教会幼稚園卒業生のSさんに伴われて、若い二人が現れ、廃園が決まっている園舎を見学したのです。一人はギター奏者、もう一人は写真家でした。
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