大震災・原発事故から一年 (2012年 3号)小菅敏夫
東日本大震災と福島原発事故から一年を迎えた今年の三月十一日、日本列島は、悲しみと再生、復興への深い思いに包まれました。被災地域では多くの場所で犠牲者を悼む様々な集まりや催しが開催されました。また、日本全国でも、四七都道
続きを読む東日本大震災と福島原発事故から一年を迎えた今年の三月十一日、日本列島は、悲しみと再生、復興への深い思いに包まれました。被災地域では多くの場所で犠牲者を悼む様々な集まりや催しが開催されました。また、日本全国でも、四七都道
続きを読む昨年初夏、「君が代」不起立処分や解雇撤回等を求める教職員の十一件の裁判が、最高裁で教職員側敗訴となった。国歌起立は一般的、客観的に儀礼的所作であり、上告人の歴史観や世界観を否定せず、憲法一九条、思想良心の自由に対し、「
続きを読む2012年を迎えた。共助会創立93周年の年である。遅れていた『基督教共助会九十年―その歩みに思う』(仮題)編纂の事業も、ようやく今春、その成果を世に送り出すこととなった。森明によって創立されたキリスト教共助会が、この9
続きを読む「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」(テサロニケの信徒への手紙一 五章一六節―一八節) 最近の脳科学の
続きを読む三月の大地震と津波、原発損傷による放射能汚染。神様からの警告とも思える。七月の台風被害の記憶も新しい八月初旬、共助会員とその友四五名が湯河原に集う恵みを備えられ、二日目からの参加を許された小さな者が、「巻頭言」の重責を
続きを読む今度の三・一一の出来事(震災、津波、原発事故)では、私たちが素朴に信頼してきた日本の科学技術体制というものが、如何にいい加減なものであったかを改めて知らされ、慄然とさせられた。原子炉事故を想定するということ自体がタブー
続きを読む私たちの日本は、アメリカのB29の空襲によって主要都市が焼かれ、一九四五年八月六日、九日の広島と長崎の原爆投下により、ようやく太平洋戦争を終結するに至りました。それから六十六年目の今年三月十一日(金)午後二時四十六分、
続きを読む今から八八年前、関東大震災の折、森明は焼野原の東京に立ち、被災者を見舞い、慰め励まし、「生命の道」と題するおおよそ次のような要旨のパンフレットを手渡した。 「生き残った」事実、「生きて行く」課題、それは自分だけの力
続きを読む敗戦後、新生日本の教育のため、田中耕太郎、南原繁らはキリスト者の心血を注いで「教育基本法」を作り、個人の尊厳の尊重を土台とする教育の目的を明らかにし、行政が教育に介入することを厳しく禁じました(旧・教育基本法第一〇条)
続きを読む二〇一〇年の京阪神共助会は、十一月二十二―二十三日(月・火)、「小笠原亮一先生を覚えて」を主題に、北白川教会で行われた。ありし日の先生を覚えて、幾人もの方々が説教、講演、感話などを語られたが、先生の偉大で、豊かで、柔和
続きを読む「起きよ、光を放て。あなたを照らす光は昇り 主の栄光はあなたの上に輝く。 見よ、闇は地を覆い 暗黒が国々を包んでいる。 しかし、あなたの上には主が輝き出で 主の栄光があなたの上に現れる。」
続きを読む私たちの保育所では、アドヴェントに入ると、子どもたちと一緒に「待つ」ことを大切にしています。アドヴェント=待降節とは、文字通り、キリストの「降」誕を「待」つ時。ですから十二月にはいると、この「待つ」ということの大切さを
続きを読む今夏の共助会修養会は、「み言葉に聴く」との姿勢が問われるものであった。まず静まって、旧新約聖書の学びの中からみ声を深く受け入れることが求められた。その後、夏の後半に佐久の聖書学舎でマルコ伝を学んだ。朝の祈り場での祈りと
続きを読む最近、わたしたちは二つの事件に大きな衝撃を受けた。一つは、大阪市西区で起きた二十三歳の母親が一歳と三歳の子どもの育児を放棄し、餓死させた事件、もう一つは、東京都足立区で一一一歳の生きていたと見られていた男性が既に三〇年
続きを読む酷暑の夏である。世界的な異常気候、相撲界の不祥事その他諸々のニュースのなかでもことに目立ったのは、元大韓航空機爆破実行犯のひとり金賢姫が、拉致被害者に関する情報提供者として来日したことであろう。警備の物々しさは致し方な
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