共助会で出会った人々 片柳 榮一
マルコによる福音書3章13―15節 飯島委員長から共助会のクリスマス礼拝で、自らの歩みを顧みた証をして欲しいと頼まれました。なかなか委員長の頼みは断りにくく、また75歳を超えた年になり、自分の歩みを自ずと振り返っている
続きを読むマルコによる福音書3章13―15節 飯島委員長から共助会のクリスマス礼拝で、自らの歩みを顧みた証をして欲しいと頼まれました。なかなか委員長の頼みは断りにくく、また75歳を超えた年になり、自分の歩みを自ずと振り返っている
続きを読む病に悩む多くの人々が病の癒しを願って、主イエスを取り囲むようにして押し迫る中、主イエスは弟子たちにお命じになりました。ガリラヤ湖を渡り、向こう岸へ行くように、と。 主イエスは、病を抱えた人々を無視されたのではありません。
続きを読む2020年10月4日(日)主日礼拝説教 (ロ-マの信徒への手紙4章16-25節) パウロはロマ書3章21節において、福音の核心として「律法とは独立した神の義」を鮮明にしました。「人が義とされるのは律法の行いによるのではな
続きを読む【誌上夏期信仰修養会 開会礼拝】コリントの信徒への手紙一 3章5―7節 自己紹介 私は生まれてから30代半ばまでを京都で過ごしました。その後、福岡で9年、次いで富山で7年、大学教員を務めています。子どもが3人い
続きを読む【誌上夏期信仰修養会 閉会礼拝】 ※以下、人名は敬称を略し、文中の◆で記した個人発言は小笠原亮一の記録によります。また、本文での引用は『共助』1984年10・11月号と1985年11・12月号から引用です。 『
続きを読む(ローマ15章1~6節) 尾崎風伍牧師の御生涯を振り返り、思うことは、神の恩寵を受けた生涯であると同時に、その恩寵に応答して生きた生涯であったということです。 神の恩寵はその89年の御生涯の至る所に示されていると思います
続きを読むヨハネ福音書6章15~21節 主の平和がわたしたちと共にありますように。イエスさまの伝道の旅に欠かせない物―いろいろありますが、舟は飛び切り欠かせないものです。イエスさまから「わたしについて来なさい」と弟子たちが最初に呼
続きを読む「見よ、わたしの僕、わたしが支える者を。わたしが選び、喜び迎える者を。彼の上にわたしの霊は置かれ彼は国々の裁きを導き出す。彼は叫ばす、呼ばわらず、声を巷に響かせない。傷ついた葦を折ることなく暗くなってゆく灯心を消すことな
続きを読む基督教共助会創立100周年を記念するシンポジウムの開会礼拝において、共に聖書の御言葉に聴きます。このシンポジウムは「明日の伝道を考える」を全体主題としています。そこでまず、使徒言行録8章26―40節、フィリポの派遣の箇所
続きを読む今回共助会百周年記念として、戦前版『共助』から先達のメッセージを汲み取るという作業に従事して、あらためて先達の歩みの貴重さを思わされたのですが、その中でも殊に印象深かったことが二つあります。その一つは、浅野順一の森 明に
続きを読む聖書:ゼカリヤ書9:9~10 9娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い勝利を与えられた者 高ぶることなく、ロバに乗って来る 雌ろばの子であるろばに乗って。 10わた
続きを読む(通訳 長尾有起) 「ユダヤ人はしるしを求め、ギリシア人は知恵を探しますが、 わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが、 ユダヤ人であ
続きを読む聖書 イザヤ書60章1~3節 讃美歌 五三二番「ひとたびは死にし身も」、五三一番「こころの緒お 琴ごとに」 京都・北白川教会の佐伯です。京都の仏教系の私立学校で20年間数学の先生をしていたのですが、その頃、在日韓国・朝鮮
続きを読むガラテヤの信徒への手紙六章14~18節讃美歌(90番「ここも神の」、512番「わがたましいの」) お早うございます。 霊交会の皆様、お元気でいらっしゃいますか? 3月以来、半年ぶりにお目にかかります。季節も移ろい、大島青
続きを読む【2019年度夏期信仰修養会 開会礼拝】 ローマの信徒への手紙 第八章35~ 39 節/コリントの信徒への手紙一 第三章 10 ~ 17 節 私には、大切にしたい友がいます。性別・年代を超えて、幾人もの友がいます。大切に
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