「私にとっての『和田 正』」 安積 力也
シンポジウム 発題2 一 あれは、教師になって15年目、新潟の敬和学園高校の現場を夢中で生きていた1988年の晩秋の夜だった。川田 殖先生からの一本の電話。「日本聾話学校の大嶋 功校長の後継者として立ってくれないか
続きを読むシンポジウム 発題2 一 あれは、教師になって15年目、新潟の敬和学園高校の現場を夢中で生きていた1988年の晩秋の夜だった。川田 殖先生からの一本の電話。「日本聾話学校の大嶋 功校長の後継者として立ってくれないか
続きを読む早天礼拝 1 昨年3月の韓日修練会で、私は生まれて初めて海外へ足を運びました。戦争時代に日本人が韓国の人々に悪いことをした。小学校の先生に教えられてはいたものの、韓国の地に入るまで痛みを肌で感じることがありませんでした
続きを読む8月7日~9日まで、日本YMCA東山荘において夏期信仰修養会が行われました。テーマは「和解」でした。和解と言えば、韓日の和解に道を開いた共助会の先達和田 正氏がおられます。彼は1966年4月28日、韓国の延世(ヨンセ)大
続きを読む2024年6月4日福田佳也さんが亡くなった。享年86歳。2020年の『共助』第7号「私の歩み」に共助会との関わりが寄稿されている。ここではご生涯のアウトラインを年代順に記し、いくつかのことを(私見を交えて)つけ加えよう。
続きを読む2月に共助会に入会をさせていただいた大栁由紀子です。昨年の夏の修養会で証をする機会を得て、その原稿を24年6号の『共助』に載せていただきましたが、今回あらためてまた分かち合うチャンスをいただきました。 私は東京下町の出身
続きを読む4月例会は4月13日(日)午後1時―2時半、北白川教会にて、井川 満さんに発表いただきました。 「他日、本間佐紀生を通して伝えられ承ったのであったかと思うが、森先生は京都に共助会ができたことに対して『日本的な出来事だと
続きを読む4月例会報告 ・4月22日(火曜日)2時から ・松本中央図書館にて ・出席8名 ・司会:丸山さん(使徒言行録17章を読んで開会) テキスト 『心折れる日を越え、明日を呼び寄せる』 3・11原発被災地小高から、再生を願う
続きを読む・時 2025年4月26日(土)午前11時から午後2時半 ・所 新潟教会(日本基督教団)二階礼拝堂 出席者22名 【第Ⅰ部】(午前11時~正午) ・賛美 讃美歌21:520番 「真実に清く生きたい」 ・聖書 旧約創世記2
続きを読む私は今回の説教題に「キリストに在る友をして語らしめよ」と記しました。 2人の先達ではなく友と呼びますが、彼らの言葉から、共助会の綱領とも言うべき「主に在る友情」と「キリストの他、自由独立」を見つめ直したいと思います。友
続きを読む「あなたがたは既に満足し、既に大金持ちになっており、わたしたちを抜きにして、勝手に王様になっています。いや実際、王様になっていてくれたらと思います。そうしたら、わたしたちも、あなたがたと一緒に王様になれたはずですから。
続きを読む今日、この場で話さないかと飯島牧師から誘われたとき、私は喜んでお引き受けしたいと思いました。ちょうど、私がこの大学に入ってから一年と少しが経ちました。 私は、島根の山の中腹に位置する、全寮制ではあるものの普通科の、キリス
続きを読む「じゃあ沖縄にはたくさんの米軍基地があるの?」 ある日、フィリピン人の友人にそう尋ねられた。彼女は日本に何度も訪れているが、沖縄の歴史についてはほとんど知らないようだったので、私は簡単に沖縄の近代史を彼女に伝えた。沖縄は
続きを読む80年前の7月8日、ビルマ戦線。私の出身地、群馬県高崎市にあった旧日本軍215連隊が、ミャンマー南部のカラゴンという千人ほどの村で、尋問の末、英軍を支援していると疑われた600人以上を銃殺した。そのうち250人以上は子
続きを読む昨年の12月11日に敬愛する田中邦夫兄が天に召された。最後に電話で話せたのは、その二週間ほど前で、その時はほとんど聴力を失っておられた。一方的に話させて欲しいと断り、 20分ほど話しつづけた。まず、信仰によって与えられる
続きを読む今、わたしは京都みぎわキリスト教会の縁側に座っています。ここから庭の木々や花、苔むした石、小さなつくばいや灯篭等を見ることができます。時折、鳥が囀り、風が木の葉をそっと揺らします。このお気に入りの場所に小さな机を置き、一
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