戦後80年 私の少年時代 助川 暢
私は、1934(昭和9)年、福島県の阿武隈山地の中程の片曽根(かたそね)村(現田村市)の生れです。今は独立学園の史料整理・環境整備などをしています。今年91歳です。 父は炭屋をしながら早稲田で学び、卒業後は帰郷し28歳で
続きを読む私は、1934(昭和9)年、福島県の阿武隈山地の中程の片曽根(かたそね)村(現田村市)の生れです。今は独立学園の史料整理・環境整備などをしています。今年91歳です。 父は炭屋をしながら早稲田で学び、卒業後は帰郷し28歳で
続きを読む若い頃、お世話になった先生のご自宅に飾られていたミレーの「晩鐘」の絵が、今でも私の脳裏に焼き付いています。この絵は、私に旧約聖書のルツ記の風景を連想させました。地方から上京した私にとって、都会の喧騒の中でホッとできるもの
続きを読む・時 2025年10月25日(土) 午前11時から午後2時半 ・所 新潟教会(日本基督教団)二階礼拝堂 ・出席者22名。 初参加者 渡辺幹もとつぐ継・洋子夫妻(伝福三条福音キリスト教会)と佐々木三穂さん(新潟市在住
続きを読む高校2年生で主イエス様に出会い、大学1年生の夏に洗礼を受けました。たくさんの方々と出会わせていただき、神様の恵みをいただいてきました。その歩みの一部をお話しさせていただきます。 1 大学生時代 ⑴ 「埼玉大学聖書研究会」
続きを読む「私たちの存在の一部は、ごく幼いころに棄てられた。完全にみとめられたという気持ちを一度も味わっていない部分である。そこには不安がぎっしりつまっている。」〔ヘンリ・ナウエン『心の奥の愛の声』〕 私は一九四四年(昭和一九年)
続きを読む私は1929年4月生れですので、1945年8月15日は16歳、旧制中学の4年生でした。 ところで、1941年12月8日、日本軍の米ハワイ真珠湾攻撃によって、大平洋戦争が始まり、私は小学校の6年生でした。 翌年1942年4
続きを読む10回にわたって聖書研究を担当することになりました。皆さんにどう聖書の言葉を届けるかを考え、最近出版された拙著『聖書のことば辞典』(教文館、2025年)で扱わなかった旧約用語を、この雑誌で解説させていただくことにしました
続きを読むベルギーは、1960年代には労働力不足を補うため積極的に移民を受け入れていましたが、70年代の不況で失業率が高止まりしてからは移民制限に舵を切りました。私が住むフランダース地域では、90年代から右派政党が台頭し、現在に至
続きを読む高校生の時、初めて作詞をしました。ラテン語で「汝、死を忘ることなかれ」を意味する『メメント・モーリ』という題名のその曲には3つのメッセージがあります。死はいつ訪れるのか誰にも分からないが、必ずやってくること。生きる中で何
続きを読む「これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」(ヨハネによる福音書16章22節) 激動とも言える2025
続きを読む1 はじめに 満州の年表(*)によれば、「昭和2212月現在、引揚げ対象者数660万人中584万人が引揚げ完了。残りはシベリア抑留50万人、樺太・千島20万人、満洲6万人、他に中国、大連、北鮮など。と推定された。」とあり
続きを読む10月1日はお隣り中国の国慶節で、長い休暇に入ります。 といっても抗日戦争勝利なので、多くの人たちは海外旅行、とりわけ日本は近くて安くておもしろいと、旅行に行くことを楽しみにしています。 特に若ものが増えているようで、日
続きを読む第二次世界大戦の終結から、80年後の現代も「国益」を追い求め、自らの理論に縛られて引くことのできない戦火がやまない現代である。 かつて日本も選択を誤り「失敗」が予測されていたにもかかわらず、戦争につき進んだ。「総力戦研究
続きを読む鳥(いろどり)の起ちて葉づれの幽(かすか)なり 色鳥は、秋の季語で秋に日本へ渡ってくる、または日本の留鳥で秋に山間部から平野部に下がってくる美しい羽色した小鳥の総称です。 色鳥の色は様々な種類の鳥という意味や『彩の美しい
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