やり直しが難しいなかで (2008年8月号) 片柳榮一
いつの間にか年をとってしまった気がするが、あらためて人生というものが、失敗に満ちているということを思わされる。最近は失敗学などという学問もでき、学会も創られているという。人々はあらためて、失敗や間違いが如何に容易に起こ
続きを読むいつの間にか年をとってしまった気がするが、あらためて人生というものが、失敗に満ちているということを思わされる。最近は失敗学などという学問もでき、学会も創られているという。人々はあらためて、失敗や間違いが如何に容易に起こ
続きを読む弟子の一人であるイスカリオテのユダが、口を挟む。「なぜ、この香油を三百デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか。」厳しい言葉である。ユダヤ人は、貧しい人々に施しをするよう教えられていたため、この言葉に反論できな
続きを読む数年前、誰の言葉か失念したが、「大切にすれば大切なものになる」という言葉をどこかで読み、以来、結構気に入っている。歳を重ねるにしたがって、ますますこの言葉が身にしみて本当だと思うようになってくる。たとえば、それが万年筆
続きを読む私がまだ四十半ばの頃、聖書の学びと祈りの群に参加すべく、四国からはるばる佐久に馳せ参じたひとりの京大生がいた。足の不自由な医学生であったが、いささかの暗さも見せず、真剣な学びの姿勢と暖かな人柄で皆の信頼と敬愛を集めた。
続きを読むそこで、イエスは言われた。「神の国は何に似ているか。何にたとえようか。それは、からし種に似ている。人がこれを取って庭に蒔くと、成長して木になり、その枝には空の鳥が巣を作る。」(ルカによる福音書 13・18―19)
続きを読む今号には、2007年11月の京阪神共助会修養会の報告がなされていることと思いますが、それに関連して与えられた幻を語ることを許されたいと思います。今回の修養会は台湾基督長老教会の元総幹事であった高俊明先生をお招きしてのも
続きを読むヨハネによる福音書第一章は、この福音書独自のクリスマス賛歌であるが、その中に次のような言葉がある。《言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理
続きを読む歴史に生きる教会は、必然的に歴史の危機に直面する。危機の中で、その危機に教会は関わろうとして、不可避的に戦い、苦しむ。そして教会が苦しみながら戦う時、教会は様々な試行錯誤を重ね、過ちを犯す。その過ちは、教会の罪責として
続きを読む今年七月六日(金)、京都にあるNCC(日本キリスト教協議会)宗教研究所で、「キリスト教の平和主義とは――戦争と平和――」と題して語る機会を与えられた。この講義の前半では、『共助』の今年二・三月号に載せていただいた「聖書
続きを読む東京と京都の共助会で戦前版『共助』を読み始めている。一九三三(昭和八)年三月から一九四四(昭和十九)年九月に突然止まるまでの十一年六カ月は、日本の歴史で言えば、日本がつくった傀儡政権の満州国が、国際連盟で圧倒的多数で否
続きを読む戦後62年、15年戦争の発端とされる柳条湖事件から数えれば76年になる。歴史の真実は、その時代を生きた人なら誰でもが語り得るのではない。 語りうるのはその時代の不条理の故に抗い難い苦しみを味わされた者たちであろう。今は
続きを読む沖縄県平和祈念資料館に行くと次のようなメッセージが書かれています。 「沖縄戦の実相にふれるたびに 戦争というものは これほど残忍で これほど汚辱にまみれたものはないとおもうのです この なまなましい体験の前では いかな
続きを読む五月号掲載の飯島信氏講演「森明の信仰と共助会(前)」を(校正者の特権でゲラ刷りのうちに)読み、考えさせられる所があった。内村鑑三は少なくとも伝道の初期、無教会というものを教会と対立するものとは考えておらず、むしろ「真正
続きを読む昨年十一月中旬に川西さんから挨拶状を頂きました。「十月三一日を持って関西電力病院を退職いたしました。一九九六年の赴任以来十余年余にわたって神経内科の楽しく有意義な臨床に携わることができました。-中略- これからもより良
続きを読む二〇〇六年十二月十四日夕、政府・与党は参議院特別委員会において、政府提案の教育基本法を強行採決した(「改正」教育基本法)。この強行採決を推し進めた人々の間、さらにその背後には、一九四七年に発効した戦後教育基本法の精神に
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