小さな群れよ、恐れるな (2008年2・3月号) 佐伯 勲
今号には、2007年11月の京阪神共助会修養会の報告がなされていることと思いますが、それに関連して与えられた幻を語ることを許されたいと思います。今回の修養会は台湾基督長老教会の元総幹事であった高俊明先生をお招きしてのも
続きを読む今号には、2007年11月の京阪神共助会修養会の報告がなされていることと思いますが、それに関連して与えられた幻を語ることを許されたいと思います。今回の修養会は台湾基督長老教会の元総幹事であった高俊明先生をお招きしてのも
続きを読むヨハネによる福音書第一章は、この福音書独自のクリスマス賛歌であるが、その中に次のような言葉がある。《言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理
続きを読む歴史に生きる教会は、必然的に歴史の危機に直面する。危機の中で、その危機に教会は関わろうとして、不可避的に戦い、苦しむ。そして教会が苦しみながら戦う時、教会は様々な試行錯誤を重ね、過ちを犯す。その過ちは、教会の罪責として
続きを読む今年七月六日(金)、京都にあるNCC(日本キリスト教協議会)宗教研究所で、「キリスト教の平和主義とは――戦争と平和――」と題して語る機会を与えられた。この講義の前半では、『共助』の今年二・三月号に載せていただいた「聖書
続きを読む東京と京都の共助会で戦前版『共助』を読み始めている。一九三三(昭和八)年三月から一九四四(昭和十九)年九月に突然止まるまでの十一年六カ月は、日本の歴史で言えば、日本がつくった傀儡政権の満州国が、国際連盟で圧倒的多数で否
続きを読む戦後62年、15年戦争の発端とされる柳条湖事件から数えれば76年になる。歴史の真実は、その時代を生きた人なら誰でもが語り得るのではない。 語りうるのはその時代の不条理の故に抗い難い苦しみを味わされた者たちであろう。今は
続きを読む沖縄県平和祈念資料館に行くと次のようなメッセージが書かれています。 「沖縄戦の実相にふれるたびに 戦争というものは これほど残忍で これほど汚辱にまみれたものはないとおもうのです この なまなましい体験の前では いかな
続きを読む五月号掲載の飯島信氏講演「森明の信仰と共助会(前)」を(校正者の特権でゲラ刷りのうちに)読み、考えさせられる所があった。内村鑑三は少なくとも伝道の初期、無教会というものを教会と対立するものとは考えておらず、むしろ「真正
続きを読む昨年十一月中旬に川西さんから挨拶状を頂きました。「十月三一日を持って関西電力病院を退職いたしました。一九九六年の赴任以来十余年余にわたって神経内科の楽しく有意義な臨床に携わることができました。-中略- これからもより良
続きを読む二〇〇六年十二月十四日夕、政府・与党は参議院特別委員会において、政府提案の教育基本法を強行採決した(「改正」教育基本法)。この強行採決を推し進めた人々の間、さらにその背後には、一九四七年に発効した戦後教育基本法の精神に
続きを読む昨秋、共助会京阪神修養会を「平和憲法公布六十年―平和を創り出す者」という主題のもとに持ちました。そして今年、平和憲法施行六十年、日本が敗戦の 反省の中から新しく出発しはじめてから六十年を迎えました。この間、昨年の十二月
続きを読む昨年は十二月十五日に改変教育基本法が、その内容に関する基本的・実質的検討や準備がなされぬまま、参院本会議で可決・成立。更に、これに相乗りする かのように、防衛庁を省に昇格させる関連法もまた可決されてしまいました。このよ
続きを読む私はこの春、三七年間の教員生活を終えました。そこに主の備えと導きがあったことを覚えずにはいられません。モーセが彼の生涯の中で、内憂(イスラエルの民との格闘)・外患(エジプトの為政者等との戦い)そして自らの葛藤を通して“
続きを読む「生きること」と「仕事すること」が一つとなる道を求めて、教師になった。日本海に面した小さなキリスト教学校。充実した日々ではあったが、のめり込めば込むほど、そこは、閉塞し自己完結したタコ壷の世界のように思えた。その間、世
続きを読む現代は、サタンが思う存分活動しているとしか言いようがない。平和を叫ぶ声はしきりだが、人間のやっていることは全てと言って良いほど逆行している。 日本は敗戦後六十一年間戦争はしていないが、戦争への協力は惜しみなくやっている
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