からだのよみがえり (2009年4月号)久米あつみ
行ったり来たりの寒さも終わりに近づいて、春の気配が迫って来た。庭先に植えたチューリップの芽が日に日に伸びていくのが愛らしい。芽が出てくるところを見ると、まず紫がかった太い葉が顔を出す。数日すると中に花芽を囲う葉が巻き込
続きを読む行ったり来たりの寒さも終わりに近づいて、春の気配が迫って来た。庭先に植えたチューリップの芽が日に日に伸びていくのが愛らしい。芽が出てくるところを見ると、まず紫がかった太い葉が顔を出す。数日すると中に花芽を囲う葉が巻き込
続きを読む今号は、昨年の秋にもたれたキリスト教共助会京阪神修養会の特集となっております。「和解の福音を生きる」という主題のもと、韓日の基督者が隣人として出会う道筋をつけてくださり、その完成を望みつつ天に召された李仁夏先生を偲んで
続きを読む1919年クリスマス、共助会は創立された。教会・教派を超えた使命的伝道団体として、神の導きの確かさの中にその歩みは開始された。爾来90年、戦前と戦後を分けてその歩みを考えるならば、戦前の26年に比し、戦後はすでに64年
続きを読む聖書には四つの福音書が「聖典」として収録されている。大雑把に言って各福音書の成立年代は、マルコが紀元七〇年前後、マタイとルカが八〇年代、ヨハネは九〇年代と推定されている。そして、最初に出来たマルコ福音書には、主イエス
続きを読む共助会の会合でも、キリスト者医科連盟のエクスチェンジ・プログラム(台湾、韓国、日本のクリスチャン医療関係者による年一回の会合)でも、韓国と台湾の方達が日本語で親しく語り合っておられる風景をよく見かける。勿論、一定の年齢
続きを読む夏期信仰修養会が終わりました。秋が来ます。2009年は共助会創立90周年の年。キリスト教共助会では、この5月の総会で90周年記念事業の計画が承認されました。このことは既に本誌 月号の速報でお知らせしたとおりです。夏の修
続きを読むいつの間にか年をとってしまった気がするが、あらためて人生というものが、失敗に満ちているということを思わされる。最近は失敗学などという学問もでき、学会も創られているという。人々はあらためて、失敗や間違いが如何に容易に起こ
続きを読む弟子の一人であるイスカリオテのユダが、口を挟む。「なぜ、この香油を三百デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか。」厳しい言葉である。ユダヤ人は、貧しい人々に施しをするよう教えられていたため、この言葉に反論できな
続きを読む数年前、誰の言葉か失念したが、「大切にすれば大切なものになる」という言葉をどこかで読み、以来、結構気に入っている。歳を重ねるにしたがって、ますますこの言葉が身にしみて本当だと思うようになってくる。たとえば、それが万年筆
続きを読む私がまだ四十半ばの頃、聖書の学びと祈りの群に参加すべく、四国からはるばる佐久に馳せ参じたひとりの京大生がいた。足の不自由な医学生であったが、いささかの暗さも見せず、真剣な学びの姿勢と暖かな人柄で皆の信頼と敬愛を集めた。
続きを読むそこで、イエスは言われた。「神の国は何に似ているか。何にたとえようか。それは、からし種に似ている。人がこれを取って庭に蒔くと、成長して木になり、その枝には空の鳥が巣を作る。」(ルカによる福音書 13・18―19)
続きを読む今号には、2007年11月の京阪神共助会修養会の報告がなされていることと思いますが、それに関連して与えられた幻を語ることを許されたいと思います。今回の修養会は台湾基督長老教会の元総幹事であった高俊明先生をお招きしてのも
続きを読むヨハネによる福音書第一章は、この福音書独自のクリスマス賛歌であるが、その中に次のような言葉がある。《言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理
続きを読む歴史に生きる教会は、必然的に歴史の危機に直面する。危機の中で、その危機に教会は関わろうとして、不可避的に戦い、苦しむ。そして教会が苦しみながら戦う時、教会は様々な試行錯誤を重ね、過ちを犯す。その過ちは、教会の罪責として
続きを読む今年七月六日(金)、京都にあるNCC(日本キリスト教協議会)宗教研究所で、「キリスト教の平和主義とは――戦争と平和――」と題して語る機会を与えられた。この講義の前半では、『共助』の今年二・三月号に載せていただいた「聖書
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